3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


リベラルアーツは生きている:学生が求める深い学び

今日のピックアップNYT記事:The Liberal Arts Can Thrive

大学生が危機的状況にあると言われている。エリート校の生徒でさえ、本も読まず注意力は続かず、AIでレポートを書き、メンタルも病みがち。そんなネガティブな話ばかりを耳にする。

若者にとって学びは就職のための手段に過ぎず、教養(リベラルアーツ)には関心がないという報告には、哲学者として特に危機感を覚える。

だが、オクラホマ州タルサ大学のオナーズ・カレッジでの経験は、こうした風評とは真逆だった。筆者が初代学部長として編成に携わった重厚な人文学カリキュラムに、学生たちは驚くほど前向きに取り組んだ。1年生の4分の1が参加するこのプログラムでは、数千ページに及ぶ西洋古典を読み、少人数のセミナーで活発な議論が交わされた。廊下でも寮でも、学生たちは本気で語り合っていた。

タルサ大学における成功の鍵は、「役に立つ」ことを一切目指さない、古典的リベラルアーツ教育にあった。プラトンやアリストテレスに倣い、「真・善・美とは何か」を問う時間こそが、若者に自由と内面の強さをもたらす。職業ではなく、生きる意味を探る教育こそが、本当の意味で彼らを惹きつけた。

ところが、このオナーズ・カレッジは今、大きな転換点にある。大学上層部の交代に伴い、運営体制が解体され、スタッフは解雇、小規模セミナーは縮小されることになった。表向きは経費削減だが、2019年にも同様の改革が試みられ、上層部は大学を「職業訓練校」に変革しようとした。しかし学生からの支持が得られず、頓挫した経緯がある。

問題は大学を統括する理事会と管理職層の価値観にある。リベラルアーツを理解せず、支援もしない人々が意思決定の中心にいる限り、たとえ学生に支持され、寄付も集まっていたとしても、こうした教育は切り捨てられてしまう。

それでも私たちは、希望の灯を消してはいけない。学生たちは、共に暮らし、同じ本を読み、違う意見をぶつけ合うなかで、「自由に生きるための習慣」を身につけていった。真理を愛し、対話を重ね、自分の無知を認める勇気を育てていった。

今、大学教育に必要なのは、学生の知的欲求を信じ抜く大人の胆力だ。若者は本当は、深い学びを求めている。問題は学生たちにあるのではない。彼らの人間性にふさわしい学びを与えようとしない体制にこそ、危機はある。

俺的コメント

この記事を読んで思い出した、「デカンショ節」。「デカンショ、デカンショで半年暮らす、後の半年ゃ寝て暮らす。」デカルト・カント・ショーペンハウエルを読んで哲学に没頭し、あとは寝て暮らすという、生産性のない大学生の暮らしを自虐的に歌ったやつね。すみません、出典は今日も昔の漫画です。木原敏江「摩利と新吾」で新吾がふんどし洗いながら歌ってたので、発祥は明治時代末期?

アメリカも日本も、かつては大学でデカンショした学士たちは、「役に立つ学問」を一切目指さなかったのに、役人になったり銀行や新聞社に就職することができたのです。その「役に立たない学問」、リベラルアーツの伝統を、今守ろうとすることの意義とは?

自分はリベラルアーツ出身で、役にたたない学問をした挙句に専門外の業界に就職し納税し面白い人生を送ってきたので、「リベラルアーツ、意義大有り」派ではあります。しかし、今の時代、リベラルアーツに経済的合理性がないことも理解できます。特に、アメリカの若者が抱える学生ローンの話を聞くと、大学は職業訓練校として生まれ変わらねばならぬ、という議論もわかります。

とはいえ、AIが様々な分野に進出している中、役に立つスキルだけを学ぶことのリスクも見えてきました。決まりきった答えを出すのはAIの方が早く、正確で、疲れ知らずです。そんな時代に人間に残されるのは、「問いを立てる力」「意味を考える力」「他者と対話する力」といった、まさにリベラルアーツが育ててきた力なのです。就職に直結しないからこそ、人生の根っこに残る。そんな学びが、AI時代にはかえって必要になるかもしれません。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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