今日のピックアップNYT記事:The Great Capitulation Is Over. What Comes Next?
カナダの前政権で財務相を勤めたクリスティア・フリーランドによる寄稿です。
俺的記事まとめ
2025年は「大いなる屈服」の年として記憶されるだろう。法曹界、大学、メディア、企業、そして各国政府までもが、米国の非リベラル化に身構え、自分たちが被る損失を最小限に留めようとした。しかし、トランプ政権を怒らせないという戦略は誤算だった。攻撃的な覇権国に対して、迎合は抑止にならない。
政治学者イワン・クラステフやマイケル・イグナティエフは、「ポピュリズム革命の時代に、左派中道は生き延びる以上のことができるのか」と問い、「嵐が過ぎるまで持ちこたえるしかないのではないか」と示唆した。こうした悲観論こそが最大の脅威ではないだろうか。
自由民主主義は全面敗北したわけではない。2024~25年の選挙を「極右への歴史的転換」と読むのは間違っている。実態はポストコロナのインフレに対する現状批判であり、「食料品が高すぎる」ことへの怒りだった。米国でも英国でもドイツでも、左右を問わず与党が罰せられた。これは文明の終焉ではなく、「インフレという墓掘り人」による現政権の墓場だったのだ。
とはいえ、危機は現実だ。第一の試練は、ロシアによる国際秩序の破壊である。ウクライナを十分に支えられなかったことは自由民主主義の弱さを浮き彫りにした。だが、ウクライナの主権が守られ、欧州統合への道が確保されれば、欧州は2025年の弱点を盾へと転じうる。筆者がゼレンスキー大統領の経済顧問として支援に加わったのは、ウクライナの勝利が自由民主主義の未来に不可欠だと考えるからだ。
第二の試練は経済だ。物価高と賃金停滞の中で、政府は人々に「安全と尊厳」を提供できていない。成長があっても、その果実が広く分配されなければ意味はない。だがグローバル富裕層やAIが生む勝者総取り構造は、その再分配を難しくする。これは産業革命以来の難題であり、自由民主主義の失敗を意味するものではない。
極右ポピュリズムは不安を巧みに言語化し、エリートや移民を敵に仕立てる。しかし極右政権が中間層の繁栄を実現した例は乏しい。必要なのは、屈服を拒み、臆することなく選挙を戦い抜くことだ。そして、経済成長の恩恵をいかに広く分かち合うかという、古くて新しい課題に正面から向き合うことだ。排外的で権威主義的な幻想は、その答えにはならない。
俺的コメント
クリスティア・フリーランドには、ジャスティン・トルドーの後にカナダ首相になってほしかった、と思っていた人は多いでしょう。ゼレンスキーを助けるためにウクライナに行くことにしたそうです。フリーランドはウクライナ系カナダ人で対ロ強硬派。今後の身の振り方としては、カナダでポピュリズムと戦い続けるよりも理にかなっているのかもしれません。
フィンランド出身カナダ人の知り合いが、「カナダ政府はゼレンスキーが来るたびに大金を貢いでしまう」と眉を顰めていました。ロシアの脅威を肌で知っているであろうフィンランド系の言葉というところが象徴的です。自国カナダで生活コストの上昇が止まない中、永遠に支援が終わらない感覚からの「また送金?」というため息と思われます。普通にリベラルな人まで支援疲れの今、ウクライナ支援=民主主義のための戦いを貫徹すべし、というフリーランドの主張は、人心を掴みにくいタイミング。直接ゼレンスキーの元に参じて個人の才能を発揮するのは賢い選択だと思われます。
イグナティエフの名前が出てきますが、この方も一瞬だけ「カナダの首相にどうか」と噂された人。「嵐が過ぎるのを待つしかない」とか言ってたんですね。それは確かに情けない。政治は気象観測じゃないんだから。フリーランドは、少なくとも嵐の中に立つ覚悟を示しています。
