今日のピックアップNYT記事:Pay Attention to How You Pay Attention
俺的記事まとめ
米連邦取引委員会(FTC)は、Facebook、Instagram、WhatsApp の親会社メタをSNS市場の独占で2020年に提訴した。メタはTikTokやYouTubeとも競っていると主張し、先月、裁判所はメタに有利な判決を下した。「アテンション政治」の今を象徴するニュースに、デジタル社会の現状を憂えずにはいられない。
もともと「友達とのつながり」を提供するプラットフォームだったメタのサービスは様変わりし、コンテンツ消費のうち「友達の投稿」はFacebookでは17%に、Instagramでは7%に減った。
インスタのリールもYouTubeのショートも見分けがつかなくなった今、「アテンションの奪い合い」市場には確かに激しい競争がある。しかしここでは、競争が製品を「より人間のアテンションを奪う方向」へ進化させ、利用者の利益や人間の繁栄にとっては必ずしも良い結果を生んでいない。
ある哲学者は、「アテンション」 を「私たちが意識をどこへ向けるかという行為」だと説明する。アテンションは中立ではなく、そこに意味を与え、事実を自分の関心へと結びつける働きを持つ。意識の向け方を他者(SNSのアルゴリズム)に明け渡すことは、いま何を見るかだけでなく、明日何を気にかける人間になるかまで他者に左右されてしまう、ということだ。
マインドフルネス瞑想を試してみるとわかるが、10回の呼吸に意識を集中させることすら、簡単ではない。アルゴリズムメディアを扱う企業はこの「人間の散漫性」につけ入り、「何に意識を向けるべきか」を決める人間の自律性を阻害する。裁判所は「メタはユーザーの関心に基づき表示を最適化している」というが、実際に最適化されているのはアプリ滞在時間であり、ユーザーよりも企業の目的が優先されている。
アテンションの主体性を守る具体的な対策として、子供をデジタルの誘惑から守ること、企業による「アテンション取り込み」の制限が挙げられる。学校でのスマートフォン禁止、ポルノサイトの年齢確認義務化、未成年へのアルゴリズム推薦禁止などの法案、推薦アルゴリズムを用いる企業への免責撤廃案なども検討されている。
しかし、これらの対策が成立するかは不透明であり、そもそもSNSアルゴリズムからAIチャットボットへと環境は急速に変化している。マーク・ザッカーバーグは「平均的アメリカ人は友達が3人未満、しかし本来人間が求める友達の数はもっと多い。その不足分をAIが埋めることができる」と発言している。AIが「友達の顔」をして人間関係に入り込むことこそ、人格形成や欲望の方向性まで操作される新段階のリスクをはらんでいる。
デジタル時代を「よく生きる」とはどういうことなのか。友達の顔をしたAIに欲望を操作されることが果たして「人類としての繁栄」なのか?テクノロジー時代が人間にもたらした最大の贈り物は、「人間とは何のために存在しているのか」という命題かもしれない。
俺的コメント
エズラ・クラインのメタ訴訟所感とAI時代への警鐘。とある友人がエズラは中立すぎてつまらんと言っていたので、代わりに怒ってあげます。Read on.
「お友達がいないならAIとお友達になればいいじゃない」。能天気オブザセンチュリー、現代のマリ・アントワネット、ここにあり。人間の関係性をAIが代行する時代が、本当に人間のためになるのか、考えることって1ミリもないのかザッカーバーグ??
テクノロジー文化は今、爛熟の時代を迎えている。SNSという「アテンションの奴隷制度」はもはや限界で、動画→短尺動画→AIレコメンドと、刺激の強度だけがインフレした挙げ句、利用者の幸福度だけが右肩下がり。普通なら「これは一度立ち止まろう」と思う場面なのに、ザックは違う。文明の転換期を前にして、「新しい時代?最高!また俺が勝つ!!」と思ってる。
人間関係が壊れても、子どもの注意力が溶けても、社会の孤独が限界でも、ザックの頭の中にはたったひとつの等式しかない。
社会的脆弱性 × 技術的代替物 = 巨大な新市場
この人にとって「友達がいない社会」は悲劇ではなく商機。現代の孤独が深刻になるほどメタの未来は明るい。人間が弱れば弱るほどビジネスが強くなる構造に、彼は何の倫理的抵抗も感じていない。
こんなやつに貴重なアテンションをくれてやっていいのか世の中?
…と、メタのプラットフォームで叫びに行ってくるけど誰も読まんだろうな…
