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「ジェノサイドか否か」ガザをめぐる二つの視点

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A Genocide Scholar on the Case Against Israel
No, Israel Is Not Committing Genocide in Gaza

2024年以降、イスラエルによるガザ地区への軍事行動を「ジェノサイド」と呼ぶ声が世界中で広がっています。NYTオピニオンコラムから、ジェノサイドという表現が妥当であるという歴史学者オマー・バルトフ、「ジェノサイドではない」とするNYTコラムニスト、ブレット・スティーブンスの主張を紹介します。

ジェノサイドである:オマー・バルトフの立場

ホロコースト研究者でありイスラエル出身の歴史学者オマー・バルトフは、当初は「ガザでジェノサイドが起きているとは言えない」と慎重な立場をとっていたが、戦争の長期化と破壊的な現状から、最終的に「これはジェノサイドである」と明言した。主な根拠は次の通り。

意図の存在:イスラエルの政治・軍事指導者による「(ガザの)人間は動物」「水も食料も与えるな」といった発言が、兵士たちへの実質的な扇動となり、パレスチナ人という集団の破壊意図を示している。

実際の行動パターン:インフラや医療・教育施設が意図的に破壊され、ガザを「再生不可能な土地」とする動きが進んでいる。これは単にハマスを排除する軍事作戦ではなく、住民の未来や集団としてのアイデンティティの剥奪を目的とした行動である。

定義の観点から:国連が定めるジェノサイドの定義(1951年施行)は「集団を、集団として、部分的にでも意図的に破壊すること」を含む。殺戮の規模にかかわらず、文化的・社会的再建を不可能にする意図があればジェノサイドに該当する。

ジェノサイドではない:ブレット・スティーブンスの立場

一方、NYTコラムニストのブレット・スティーブンスは、「イスラエルの行動は非道であっても、ジェノサイドには当たらない」と主張。主な根拠は次の通り。

意図が存在しない:ジェノサイドは「その属性ゆえに」集団を抹殺しようとする明確な意図を必要とする。イスラエルの目的はハマスの壊滅であり、パレスチナ人そのものを殲滅しようとしているわけではない。

軍事行動の抑制的性質:イスラエルは事前に避難警告を出すなど、無差別殺戮にしない努力をしている。実際に保有する軍事力を用いれば、はるかに多くの死者を出すことも可能だったはずである。

ハマスの戦術の影響:ハマスが民間人のあいだに潜伏し、地下に逃げ込むことで市民の犠牲を招いている。これはハマス側の戦術的責任であり、ジェノサイドと断定するのは誤りである。

またスティーブンスは、ジェノサイドという言葉を乱用することで、その本来の意味が薄まり、むしろ今後の「本物のジェノサイド」を見逃す危険があると警告する。

俺的コメント

イスラエル出身のホロコースト研究者が「これはジェノサイドである」と発言し、アメリカ人のコラムニストがそうじゃないと言う構図に、象徴的なものを感じます。

バルトフはイスラエルの軍隊にいた経験があり、占領する側の感覚も知っています。彼にとって、ジェノサイド発言は「イスラエルの未来のために言わねば」という警鐘です。

一方、アメリカ育ちのスティーブンスにとって、ホロコーストは「道徳教育としての記憶」であり、「ユダヤ人が再び無力にならないための防衛原則」なのでしょう。

遠くから支援する方が過激になるという現象は、親パレスチナ側にもあります。たとえば北米キャンパス抗議運動での「ハマスはテロリストではなくレジスタンス」といった言説。現場にいない正義の危うさは、スティーブンスの視線とある意味よく似ています。

現地の人々にとっては、ジェノサイドという言葉の定義なんかどうでもいい、それより水と食料を寄越してくれ、というところでは。

バルトフとスティーブンス、どちらの言葉に説得力があるかといえば、200%バルトフです。バルトフが語ったのは、加害者の側に立ってしまった自国への痛切な内省です。一方、スティーブンスが提示しているのは、「破壊が正当化される条件とは何か」をめぐる計算でしかない。

今必要なのは、正しさを語ることではなく、自分たちの行為が、相手の未来をどこまで奪っているか」を問うことではないでしょうか。



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新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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