今日のピックアップNYT記事:The Anti-D.E.I. Crusader Who Wants to Dismantle the Department of Education
*原文は1時間以上に渡る対談のトランスクリプトです。対談ゲストの発言部分を個人的に興味がある部分に絞ってまとめました。
俺的記事まとめ
イタリア共産党員の父を持ち、革新が強い北カリフォルニアで育った自分(クリストファー・ルーフォ)は、かつては政治的にかなりの左寄りだった。2020年の「ブラックライブズマター」抗議運動のさなか、シアトルで極左グループが「自治区」を形成し、黒人の少年が発砲事件の犠牲になる事態を目の当たりにし、極左思想の危険性に気付いた。
アメリカ社会のあらゆる場所で広まっている左翼的な思考は、Critical Race Theory (CRT) を起源としている。CRTは、人種差別が法律や制度に深く組み込まれており、社会制度が白人の優位性を維持するために機能していると考える。人種差別の歴史について語ることには何の問題もないが、白人という存在そのものが邪悪であると教え、世の中から「白人性」を消し去ろうとするCRTが、アメリカ人教育の根本であってはならない。
1964年の公民権法により、人種差別や性差別が法律で禁止されることになった。公民権法は合衆国憲法を上書きする第二の憲法であるとみなす考えが発生し、政府による「自由の侵害」が可能になった。保守政治家の中には、公民権法そのものを撤廃すべきという考える一派もあるが、公民権法を撤廃できるわけがない。より適切な方法は、公民権法がいかに施行されるべきかという新しい解釈を確立することだ。
「カラーブラインド」、つまり肌の色を全く考慮しないという姿勢を徹底的に貫くことが、あるべき公民権法の解釈だろう。アファーマティブ・アクションは差別であり、特定人種の優遇は、白人を優遇した過去と同じように裁かれるべきなのだ。それこそが真の社会的平等をもたらすはずだ。
大学および教育行政の従事者は大部分が筋金入りの政治的左派であり、右派の人材とそっくり入れ替えるとことはできない。もともと大学と教育は左派の領地であり、右派にはアカデミック人材が圧倒的に少ない。しかし、政権がどう変わろうと、左派である限り、たいした仕事をしなくとも教育行政の中で雇用の安泰を確保できると思っている者は粛清されなければならない。
また、国は大学を閉鎖するわけにもいかない。極左思想を育てるDEIへの財政的援助を国が廃止すれば、大学はこれまでのように左派イデオロギーに流れる潤沢な資金にあぐらをかくわけにはいかなくなるだろう。
教育省の業務を最低限に削り、学資ローンなどの部門はいずれ民営化して必要不可欠な部分は州政府の管轄とする。そうすることでDEIが引き起こした腐敗を焼き尽くし、教育行政を健全な状態に立て直すことができるだろう。
アメリカは複雑な歴史を持つ国である。大学が視野の狭いイデオロギーに占領されてはならない。保守派の歴史観もまた愛国心を讃えるだけの一方的なものであってはならず、アメリカという国の素晴らしさを多角的に検証し、人間とは何か真理とは何かを問う普遍的な命題を考えるような人文教育が望ましい。
俺的コメント
NYTでは珍しい右翼と右翼の対談。オーディオの方も聞いてみましたが、トランプ政権がこれまでに成し遂げた連邦組織の大量馘首がビューティフルだワンダフルだと絶賛してて気持ち悪くなった。この人たちは、できることなら教育省の官僚をそっくり右翼で入れ替えたかったらしい。でも右翼には教育官僚に相応しいアカデミック人材が少ない(笑)。だから建物ごと燃やしてしまえ、と。恐ろしや。
逆差別も差別であるという議論は、わからないでもないです。この方は、「カラーブラインド」というアプローチこそこそ真の平等であり、この考え方を中道左派に売り込みたい、そして中道左派と極左が戦って極左が負ければ良い、と思っているんだそうです。つまり俺みたいな真ん中系の共感を得たいということね。
たしかに共感できる部分も、あります。白人男性はすべからく邪悪な存在であると説くイデオロギーが許せないという部分には共感します。対談聞き手の方が言っていた「建国の父らもリンカーンもキング牧師もみんなアメリカの英雄である」という考え方も、いいと思う。
しかし、本当にDEIは「白人男性が邪悪である」と教えているのか?「それってあなたの感想ですよね」に属する言説ではないのか?
クリストファー・ルーフォは元々ドキュメンタリー映画監督らしいです。最初にDEIへの違和感を覚えたのは、製作助成金の対象が「女性」と「マイノリティ」に限定されていてた、つまり自分には平等な機会が与えられないという体験をしたときだそうです。
コメント欄で「自分がもらって当然の金を女性とマイノリティに取られたと思っているんだろう」と意地悪なことをいっている人がいます。本人としては実に心外なコメントでしょう。しかし、こうした悪意の曲解がはびこる原因を探るとDEIに行き着く、だからDEIを根絶しようという発想は残念すぎる。結局は自身が批判する「自由の侵害」という同じ場所に行き着いているし。
アメリカの歴史が複雑であり、さまざまな角度から語られるべきであるなら、DEIもCRTも根絶していいわけがありません。罵る相手と同じレベルに堕ちる以外のやり方はないのしょうか。根絶だの撲滅だの過激な言葉を使っている限り、センターレフトの支持を得るのは難しいでしょう。
