3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


「片付けられない人」讃歌:散らかり脳と創造性

今日のピックアップNYT記事:My Home Is Messy, and I Don’t Feel Bad About It

私はセラピストとして「片付けられない人」のために家事のヒントを発信している。畳まないでバスケットに突っ込んである洗濯済みの衣類、キャスターをつけた巨大なゴミ箱などが登場する動画を投稿すると、コメント欄は私の怠惰ぶりを批判するコメントでいっぱいになる。しかしDMでは「散らかっててもいいんだと気づいて人生が変わった」「自分だけじゃないとわかって涙が出た」といったメッセージが寄せられて来る。

世の中は、片付けられない人に対してとても厳しい。私自身、片付けられない自分は大人として失格だという思いを抱いてきた。しかし4年前、「自分は片付けられない人間である」という事実を受け入れ、片付けの呪縛から自分を解放した。

以来私は、「片付けられない」は欠点ではない、と訴えてきた。この自説をさらに一歩すすめ、「片付けられないのは良いことだ」と主張したい。整理整頓が苦手なADHD脳は、非常に高いレベルの創造性を発揮する。私はルネッサンス期コスチュームを手作りしているが、片付けられない人間であるからこそ、クリエイティブな作品を生み出せると自負している。

我々「片付けられない族」は、マーサ・スチュワート的な丁寧な暮らしよりも、「森の生活」のヘンリー・ソローの如く思索に忙しく、掃除や料理を外注することを良しとする。我々の存在はマリエ・コンドウ式クローゼットではなく天才アインシュタインの仕事机であり、あらゆるモノを胸に抱いて「ときめき」を感じるか検証している暇はない。

散らかった環境は生産性や創造性にネガティブな影響がある、とよく言われる。この説が実は間違っている可能性があるらしい。ミネソタ大学のある実験では、すっきりと片付いた環境と散らかった環境に被験者をわけ、ピンポン玉の「クリエイティブな用途」を考えさせたところ、散らかったグループの方が、より創造的なアイデアを出したという。

もちろん、片づけられない人々は、家族が安全で清潔な環境で暮らせるよう気を使う必要がある。しかし、自分の脳にあっていない方法で気を使う必要はない。出したらしまう、ということが普通にできる人はいい。しかし私の場合、自分が触るすべてのものをいちいち「片付ける」という行為は、必要以上に心身を疲弊させる。

これは私が「変われない」「頑張れない」という意味ではない。むしろ逆であり、自分にあった方法でものを管理できるよう頑張れば良いのである。

何日もシンクに洗い物が溜まっていても気にしない。ただ、食べカスが残っている状態にはしておかない。洗濯した服は畳まなくても、必要なときに必要な服が見つかる状態になっていればそれでいい。カウンターがモノにあふれていても、必要なものにすぐに手が届く状態は、多忙な子育て期の自分にとってより機能的であり、よその誰かのミニマリスト風の家という夢を追うよりずっと理にかなっている。

片付けられる人になろうと無駄にエネルギーを費やすのをやめたおかげで、自分にあったシステムを考案する創造性が発揮され、家事は楽になった。

俺的コメント

2025年の元旦の記事です。「今年こそ変わろう」と思っている人に、努力の方向を間違わないようにしましょう、と訴えかけています。

創造性と生産性の話は、面白いですね。自分の仕事や趣味のものづくりをふりかえってみると、創造性がいらないタスクと創造性に頼るタスクがあって、前者の作業環境はすっきりと整っていたほうが生産性があがり、後者の作業に没頭する時は片付いているかどうかなんてどーでもよくなります。俺的には暮らし全般において、散らかし屋とミニマリストが矛盾なく共存している感じ。

昔、大学の先生に、それは右脳と左脳の関係だと言われました。人間はだいたい、右脳か左脳のどっちかが優位なんだけど、どっちも優位じゃない人は、たとえば神様と進化論を同時に受け入れることができるとか、良くいえば柔軟性が高く、悪く言えば整合性に欠けるということでした。

俺んちは、ミニマリスト並みに片付いている部分と、アインシュタインの机のように散らかっている部分があって、それは右脳も左脳も優位じゃない人間の特性なのかもしれないです。自らの脳の特性を寿ぐという説に従い「これでよいのだ」と自分に言ってきかせる年始めでございます。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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