今日のピックアップNYT記事:University of Michigan Ends Required Diversity Statements
俺的記事まとめ
ミシガン大学では、教職員の雇用や昇進を審査する際に義務づけてきた「ダイバーシティステートメント」の廃止を発表した。このステートメントは、研究や教育を通じていかにDEI*の促進に寄与していくのか応募者に問うものである。
歴史的に差別を受けてきた層を優遇する積極的差別是正措置(アファーマティブアクション)を終わらせ、雇用における特定人種の選り好みを禁止する動きが進む中、ダイバーシティステートメントは、教育の場での多様性の促進に貢献していると評価される。一方、教職者に特定の政治観を押し付け、間違った方向に進んでいるという批判も高まっている。複数の州の公立大学でダイバーシティステートメント要件が廃止され、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学なども同様の動きに加わっている。
ミシガン大学では、自校キャンパスを超えてダイバーシティステートメントの推進運動を広げてきた。国内大学の多くが、ミシガン大学のダイバーシティ評価基準や雇用慣行をモデルにしてている。そのミシガン大学がダイバーシティ要件を廃止するという決断は、アメリカの大学教育におけるDEIの取り組みに、大きな転換期が訪れたことを表している。
ミシガン大学ではまた、低収入層の学生を対象とした奨学金プログラムを拡充すると発表した。これを相殺する形で、近年増大したDEI関連業務の予算が削減される見込みも示唆されている。
学内の一部DEI推進派からは、ダイバーシティ要件の廃止は「大学のDEIに対するコミットメントに誤った印象を与える」「学部のニーズや理念に基づいて設定されるべき雇用慣行と評価指標に対する卑劣で不当な介入である」として、批判の声が上がっている。
ミシガン大学の黒人学生協会は、同学のダイバーシティ推進運動には積極性が足りないと批判してきた。ある黒人学生は、「DEIプログラムの奨学金のおかげでこの大学に来ることができた。後輩たちも同じ道が辿れるよう、DEI予算削減に反対する」と述べている。
大学理事会は、DEI予算のうち奨学金をカットする予定はないとしている。昨年の調査によると、同学のDEI予算の半分以上は、DEI推進業務に携わる職員の給与や福利厚生に使われているという。
同学理事会では、DEIが大学の理念であることには変わらないとした上で、「機能していないプログラムや学内業務の変革を続けていかなければならない。税金や授業料といった財源が、可能な限り学生に還元されるようにしなければならない」としている。
*DEI = Diversity, Equity, Inclusion 「多様性、公平性、包括性」
俺的コメント
Diversity Statementを検索するとお手本が鬼のように出てきます。陰謀論と並んでAIの得意分野ではないでしょうか。
記事コメント欄、大学教員らがブラボーを叫ぶ声に溢れています。ちょうど教員の友人に、学内DEIがいかに無駄に金を使っているかという話を聞いたばかりでした。「多様性の重要さをいかにして教えるかを教える係」みたいな場所にばかり予算が使われて、教員や学生の本分である研究が置き去りにされていると。我が家の大学生も、予算不足でカットされる科目の多さに怒りまくっていますが、あるところにはお金があったわけね。
DEIの旗振りをしてきた学校がDEIの進め方を大幅に見直すというのは、喜ばしいニュースです。多様性尊重、人種差別反対運動は、もちろん大切に決まっています。今までの努力も投資も、けして無駄ではなかったでしょう。しかし限界とか歪みとか見えてきた、すだらば軌道修正すっぺよ、当たり前のことだ。差別用語を指摘しまくるだけの業務に予算を使う代わりに、低収入家庭の学生に奨学金を出す、いいね!
けして人種差別野放しの昔に戻れという話ではありません。こちらの記事に、DEI教育のせいでキャンパスの閉塞感が増した、という話があります。同じようなことは会社勤めの人からも聞きます。企業や官公庁なども、最近は政治的に正しい振る舞いを社員・職員に浸透させる努力をしていますが、「POC ( = person of color、つまり白人以外) の方には迂闊に話しかけられない。うっかり発言で人事に訴えられたらたまらん」という声を耳にします。で、POC的には、白人に避けられている、人種差別だ、となる悪循環。
アメリカ大統領選挙の後、「(DEI大好きな)極左のせいでリベラルが負けた」というリベラル中道の声も多く聞こえるようになりました。極左的な思考を反省しようという動きは、けして極右の台頭を煽るものではなく、社会が正気に戻るための過程かもしれません。左が正気になれば右も正気になるんじゃないでしょうか。
