3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


#MeToo運動の功罪:モーガン・スパーロック監督を悼む

今日のピックアップNYT記事:We’re Good at Punishing #MeToo Men. Can We Ever Forgive Them?

ドキュメンタリー映画「スーパーサイズ・ミー」で有名になり、#MeToo運動の最中に失脚したモーガン・スパーロック監督が亡くなった。

5年前、私はマンハッタンの喫茶店でスパーロックに会っている。仕事がらみの知人が、お互いに得るところがあるのでは、と私たちを引き合わせたのだ。当時私は、ポスト#MeToo時代をどう進めていくべきか、というテーマの本を上梓したばかりだった。これは、フェミニストからスパーロックに「謝り方」を教えてやれ、ということなのだと思った。

失脚の原因となったセクハラ告白文の中で、スパーロックは恥ずべき体験を赤裸々に語っている。大学時代セックスの相手にレイプだと責められたこと、職場でセクハラをしたこと、交際・結婚した相手の全員を裏切り浮気をしていたこと。彼は「自分も(セクハラ)問題の一部である」と認めた上で、自分は問題解決のきっかけになり得ると宣言した。

誰にも相談せずに書いたというスパーロックの告白文は、拙くまとまりがなかった。しかし、正直に心情を綴った不器用な文章からは、有名人がダメコン用に出す広報声明とは全く異なる、真摯な姿勢が感じられた。

スパーロックが亡くなった今、彼の人生は「スキャンダルと向き合おうとして成功を台無しにし、一発屋として終わった監督」と要約されるのかもしれない。悼むに値しないレイプ犯、人を傷つけながら出世した特権階級の白人野郎、過ちを認めさえすればすべてチャラにしてもらえると思ったのか?等々、悪口雑言がソーシャルメディアに飛び交っていた。

私はそんなコメントに苛立ちをおぼえた。友人関係を築いた私とスパーロックは、「より良い人間になるには」というテーマで何度も語り合った。私は彼が全面的に許されるべきとは思っていないし、もう一度表舞台に立つべきだったとも思っていない。しかし、#MeTooから7年経った今も、反省し心から償おうとする男性に、私たちは道を開いてやっていないと感じる。#MeTooに悪事を暴かれた男性の多くは私たちの同情に値せず、また同情を求めてもいない。しかし負の連鎖を断ち切るには、心から反省して変わろうとしている人を、社会は赦すべきではないのか。

傷つける意図がなかったとしても、相手が傷つけば、そこにしっかり目を向けるべきなのだと、スパーロックは時間をかけて学んだ。これは非常に重要な点だと思う。#MeTooに糾弾された有名人の多くは、謝罪したにしろ否認したにしろ、自分が傷つけた対象には目を向けず、反論と保身に終始していたからだ。

もし、スパーロックが、下手に謝らず口をつぐんでいたら、彼の評判に傷はつかなったのではないか。政治的な風向きの変化、徹底的な否認、#MeToo感情の沈静化とともに、かつて糾弾された人々も再浮上してきている。しかし、自らの行いから何かを学ぼうとしたスパーロックに、「黙っていればよかったのに」というのは何か違う気がする。自分の過ちを認めた人が、キャリアを犠牲にし社会的な立場を喪失した以外に、何も達成できなかったというのは、残酷ではないだろうか。

スパーロックの訃報を受け、私は泣いた。単に友達が亡くなったからではない。彼が心から望んでいた償いへの道のりが中断されてしまったことが悲しい。彼は社会に許されなかった。許されなかったからこそ、より良い人間であろうとした努力は尊い。

スパーロックには、過ちを悔い変わろうとした人間として人々の記憶に残って欲しい。次に誰かが同じような努力をしたとき、より寛容な目で見れる社会になるように。

俺的コメント

#MeToo運動から7年も経ちましたか。心から反省して社会的制裁に甘んじたセクハラオヤジと、全否定(または弁解)してほとぼりがさめるのを待ち、社会的地位を失わなかったセクハラオヤジ。人間として立派なのは前者なのに、その誠実さが報われない社会ってどうなのよ?というお話です。

どうなのよ?と言われても、こりゃ難しいわ。反省や赦しは個人の心の問題なので、ハッシュタグでどうこうできるものでもありません。友人の改心ぶりを世間様に認めてもらいたい、でもフェミニストとして彼の行動を許すわけにいかない。筆者自身も葛藤しています。

セクハラは謝るのが得策である、という社会的刷り込みができないものですかね?不祥事は隠蔽するよりさっさと謝罪会見したほうがダメージが少ない、という研究結果がどこかにないかな?先日の記事のセクハラ登山家も「とりあえず全否定」という方針でいくようですが、「とりあえず謝罪会見」だったら外野の見る目も違ったと思うのよ。謝って済むなら警察は要らんという話ではあるのですが。

口先だけの謝罪など要らんわ、と思われるでしょうか。人事部がきちんと機能している会社には、「とりあえず謝れば許す」というシステムがあります。不適切な言動を指摘されたおじさんが、ただちに改心するなんて、極めて稀な話です。反発し反論したくなるのが人情。そこをぐっと堪えて反省文を書き(書かされ)謝罪することで、おじさんたちは少しづつ時代の流れを学んでゆきます。

#MeTooは人事部ではありません。人事部の力が及ばない権力者や有名人の悪事を暴くには有効ですが、暴いた後のことはほったらかし。社会的な許しはどうしたら機能するのか。答えのない話ですが、この記事の筆者のように葛藤すること自体に、バッシング文化を解毒する力があるのかもしれません。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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