3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


NASAは哲学者を宇宙に送るべき

今日のピックアップNYT記事:The Next Frontier? Philosophy in Space.

NASAの宇宙飛行士応募が間も無く締め切られる。4年に一度のチャンスであり、私も応募したが、受かるとは思っていない。

応募資格として、STEM分野(科学・技術・工学・数学)での修士号、医学博士号、試験飛行操縦士訓練校卒のいずれかが、最低条件として挙げられている。私は博士号を持ってはいるが専攻は哲学、空軍パイロットではあるが試験飛行操縦士ではない。

NASAに意見するつもりはないのだが、現行の応募資格は、人文学と社会科学を宇宙飛行士プログラムから締め出している。大気圏内外での「飛行の問題」を解決すべくNASAが設立された1958年当時ならばともかく、飛行技術が進化した今、文系の学者をもっと宇宙に関わらせるべきではないだろうか。

宇宙への道を開拓してくれた科学者とエンジニアのおかげで、かつて我々を地上に縛り付けていた「飛行の問題」は大部分が解決された。今後は何が課題になっていくだろう?月や火星への移住?知性を持つ宇宙人との接触?人間と宇宙の将来的な関わりについて、さまざまな学問からの問いかけが必要だ。社会学者と人類学者には宇宙コミュニティのあり方を、神学者と言語学者には宇宙における人間の孤独を、政治学および法学者には、星間政府のありようを考えてもらいたい。

もちろん、こうした課題は、地上にいても研究することができる。しかし、多様な分野の学者を宇宙に送ることで、有意義な対話が生まれると思う。私自身の専門である哲学も、安楽椅子に座って語ることはできる。デカルトは暖炉のそばで暖まりながら、「我思う故に我あり」という結論に達した。

しかし、歴史に残る哲学的発見の多くは、極限状態に置かれた人間の経験から生まれている。エピクテトスが暴君ネロの宮廷で奴隷として辛酸を舐めなかったら、ストア派哲学は生まれなかったかもしれない。トマス・ホッブスがイングランド内戦から逃亡しなかったら、「リヴァイアサン」は日の目を見なかったかもしれない。ハンナ・アーレントがホロコースト仕掛け人アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴しなかったら、「悪の陳腐さ」という考察は生まれなかったかもしれない。

西洋哲学の歴史を通じて、宇宙は最も深遠なる真実の代名詞であり続けた。プラトンは、この世にあるものは真実の「イメージ」にすぎず、真の実在は天国にあると考えていた。また、カントの哲学は、人間の内なる道徳律のみならず、「天界の星々」からもインスピレーションを得ていた。現代のプラトンとカントは、その天界をより間近に見るべき立場にある。

一般的に、哲学の仕事は、「この命題が正しいとしたら」から始まる。「地球は人類にとって唯一の故郷ではない」という命題が真である場合、それは何を意味するのか。国という概念はどうなるのだろう?コミュニティとは?人間とは?世界における人間とは?こうした疑問を追求する「宇宙哲学者」が、宇宙に送り出されても良いはずだ。

現状では、理系の優位性が社会科学者や人文学者の存在に影を落としている。NASAがこのトレンドを変えるとは思えないが、いつか人類は、映画「コンタクト」のジョディ・フォスターのように、「詩人を(宇宙船に)乗せるべきだった」と呟く日がくるかもしれない。

俺的コメント

宇宙学において理系の優位性が文系の存在に「影を落とす」の原文は、日食とか月食を表す”eclipse”です。文脈的にうまい使い方だな!と感心。今週、北米で皆既日食がありました。神秘体験の余韻に浸り中、仕事が手につかない感じであります。

小学生のとき、兄と一緒に親に頼み込んで天体望遠鏡を買ってもらったはいいけど使いこなせなくて放置、親に怒られた記憶が。しかし毎年8月12日には屋根に登ってペルセウス流星群を探していた宇宙小学生は、高校生になると選択理科で無謀にも地学を選択しておりました。

これをカナダ人に言っても信じてもらえないんですが、日本の高校ではケプラーの法則を使って楕円軌道の計算をするところまでやっていたのです。何がビックリって文系の高校生も国立大学を希望する限り共通一次(年齢がバレるな)がある故に、こんな高度なサイエンスをやらされていたという事実。借金の金利の計算もできないくらい壊滅的に数学(というか算数)ができない人間には無理がありましたね~。しかし地学は現代国語よりも浪漫に満ちた科目であった。試験は赤点だったけどよ。

ひまわりの種のつき方がフィボナッチ数列だとか、惑星公転周期の2乗は平均軌道半径の3乗に比例するとか、「自然界の美しさが数式で表せる」系の話に萌えるのは何故なのでしょう。オイラーの定理は「人類の至宝」だそうで、こんな本もあるけど、やっぱりわからなかった(涙)。文系といっても芸術家ではないので、宇宙を讃える絵を書いたり音楽を作ることもできない、表現力に欠ける文系の悲しさよ!

しかし文系が赤点を取りながら履修した高校地学が無駄だったかというと、絶対そうではないのです。文系出身がケプラーの法則を詩のように誦じると飲み会で一発芸になるだけでなく、まさにこの記事にあるように、STEMにはない感性で宇宙を感じることができるからです。アフリカ遠征に文人を連れて行ったナポレオンの如く、NASAも文系を宇宙に連れていくべき。「宇宙哲学」って良い響きじゃないの。宇宙社会学、宇宙心理学、宇宙人類学が学問として成立するようになるまで、人類の文明が続いてくことを祈る。



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新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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