3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

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ユダヤ系アメリカ人を悩ませるイデオロギーの矛盾

今日のピックアップNYT記事:The Great Rupture in American Jewish Life

過去10年ほど、ユダヤ系アメリカ人が感じていたイデオロギーの揺らぎは、10月7日(ハマスのイスラエル攻撃)を境に激震へと様変わりした。半世紀に渡り、ユダヤ系アメリカ人のアイデンティティとなっていたリベラリズムとシオニズム。アメリカの左派が、中絶の権利などと同じく「親パレスチナ」を政治的信条に加えるようになり、ユダヤ系アメリカ人は、リベラリズムとシオニズムのどちらを取るか選択を迫られている。

国のトップにいる革新派には今でも親イスラエルが多いが、これはリベラル政党支持層の現状とは乖離している。民主党チャック・シューマー上院総務は、従来通りユダヤ人国家の存在を支持しながらも、若者が親パレスチナ運動に共鳴する動向を「理解できる」と述べている。自身の政党が大きな変化の途中にあることを意識した発言といえるだろう。

一方、筋金入りのシオニストたちは、政治的左派とは袂を分ち、右派と結びつく傾向にある。ドナルド・トランプもこの状況を大いに利用し、「民主党を支持するユダヤ人はユダヤ教を裏切りイスラエルを破壊する恥知らずだ」とトランプ節を全開にしている。

シオニズムよりもリベラリズムを選ぶユダヤ系アメリカ人は、あまり注目されないが特に若者の間で増えている。しかし親パレスチナ運動が過激になるにつれ、新たなジレンマが発生する。パレスチナ解放が実現するとしたら、イスラエルのユダヤ人はどうなっても良いのか。

20世紀の初めにアメリカに移民してきたユダヤ人たちは、アメリカ的自由主義を信奉し、経済的な成功を収めながらも弱者の側に立ち、女性、黒人、性的マイノリティなど、被差別者の権利拡大運動を支持してきた。ユダヤ系移民とシオニズムの結びつきも、20世紀の初めに遡る。しかしシオニズムがユダヤ系移民の間に深く浸透したのは、第三次中東戦争以降だ。1967年の圧倒的勝利は、ホロコーストでユダヤ人が味わった無力感を解毒し、イスラエルという国の存在が、ユダヤ系アメリカ人にとって信仰にも等しい心の拠り所となった。

しかしシオニズムとリベラリズムの組み合わせは、矛盾を孕んでいる。アメリカの自由主義は、宗教や人種を超えた万人の平等を掲げているが、シオニズムはユダヤ人の優位性を原則とし、イスラエルはパレスチナ市民をユダヤ人と平等には扱っていない。最近まで、アメリカでこの矛盾が指摘されることはなかった。近年、若者がソーシャルメディアを拠点に社会運動を展開するようになり、メインストリームの報道が取り上げてこなかったパレスチナの声が聞こえるようになった。あらゆる差別と戦う政治的左派はパレスチナの解放をも大義に加え、一方、ネタニヤフ首相の元で大きく右傾したイスラエルは、あからさまにパレスチナ人を差別し、自由主義とは相入れない国になっていく。

パレスチナ支持運動が激化するにつれ、かつては言論の自由を標榜していたユダヤ人団体も、「反ユダヤ的」な表現の制限を試みるようになる。アメリカ史から人種差別や抑圧の歴史を抹殺しようとするトランプ派のやり方を真似れば、反ユダヤ発言を抑え込みやすい。

リベラリズムとシオニズムのどちらも捨てられないアメリカ人にとって、有力なシオニストとトランプ派の結びつきは、きわめて不愉快な動きだが、バイデン大統領のように、イスラエルとアメリカ民主主義の両方を支持する政治家がいる限り大丈夫と楽観する向きがある。しかし、民主党を若い世代が牽引するようになれば、アメリカはより親パレスチナになるだろう。自由主義を尊重するのであれば、シオニズムを捨てイスラエルとパレスチナの平等を擁護しなければならない。

リベラル派のユダヤ系アメリカ人は、二重の意味で少数派となっている。ユダヤ人コミュニティでもマイノリティであり、パレスチナ解放運動においても、ユダヤ人である限りマイノリティだ。オバマ大統領の時代ならば、「リベラルなシオニスト」こそ、ガザとヨルダン川西岸の占領を終結させ、イスラエルとパレスチナの共存を先導できる可能性があった。しかしイスラエルが極右国家となった今、親パレスチナ運動はイスラエルを全否定し、共存はありえないという強硬なものになっている。

年配のユダヤ系アメリカ人にとって、子供や孫がシオニズムを疑問視するのは悲しいことだろう。かつて自分を育んだ大学キャンパスの自由主義が、シオニズムを「人種差別」だと糾弾するのもやりきれないだろう。

しかし、シオニズムとリベラリズムが両立すると考えるユダヤ系アメリカ人は、なぜイスラエルが右翼をひきつけるのか、よくよく考える必要がある。なぜ、アメリカをキリスト教白人至上主義の国にしたい人間が大統領になった方が、イスラエルへの支持を取り付けやすいのか。何十年もの間、ユダヤ系アメリカ人の政治的立場は、矛盾の上に成り立っていた。こっちで平等を求め、あっちで不平等を容認する。その矛盾が許されない時代になっている。

俺的コメント

「リベラルなユダヤ系アメリカ人」は、民主党の上院総務に言わせると「サイレントマジョリティ」だそうです。サイレントとは口をつぐんでいるということですね。俺の周りにもいます、自分が口を開くと「正義の味方」の逆鱗に触れるから黙っているという方が。正義の味方さんたちが怒りに燃えているのは、ガザの現状を見ればよく理解できますが、怒られるのを承知で書きます。

「イスラエルの建国自体が間違っていた」という言説が、絶対的正義のような顔をして巷に溢れかえっています。自分の正しさを1ミリも疑わない人の顔はみんな同じでみんな怖い。ハマスを撲滅するというネタニヤフの顔と、ユダヤ人を皆殺しにすると言ったヒトラーの顔は同じ。「ユダヤ人のいないパレスチナ」の実現を応援する「進歩的な北米人」の顔が、ネタニヤフと同じになっていくのではないかと、心から怖い。

「イスラエルの建国自体が間違っていた」という言説に、賛成したり反対したりできるほど歴史を知らないので、とりあえず Palestine 1936 を読んでみました。歴史学者が特定の視点から書いたものではなく、ジャーナリストが淡々と事実を記した本です。タイムマシンにのってユダヤ人のパレスチナ入植が始まった20世紀初頭に戻れるとして、誰がいつどの時点で何をしたら、今の中東の状況を防げたかという答えは見つかりませんでした。しかし思わず落涙した箇所があるので、以下に抜粋します。

「世界大戦以前、パレスチナの人口80万人の約7%はユダヤ人だった。その大部分は、何世紀にも渡ってエルサレムに住んでいた信仰心の篤いユダヤ人だった。彼らはアラブ人と同じ言葉を話し同じ音楽を聴き同じものを食べて生活していた。当地では、同じ時期に男児を産んだ母親同士は、産婆が仲介して引き合わせ、宗教や階級に関わらず、お互いの子供に授乳しあうという習慣があった。こうして乳兄弟となったアラブ人とユダヤ人は、一生を通じて家族ぐるみの付き合いをするのが常だった。」

エルサレムのアラブ人とユダヤ人が、宗教や階級の違いを超え、家族のように仲良く人生を共有する。夢物語ではなく「人間的に可能」であるという証拠を目にして、涙が出てきました。マイノリティの声に耳を傾けるのは、アメリカ的リベラリストのお家芸ではないですか。それならば耳を傾けてほしい、パレスチナとイスラエルの平和的共存が可能だと信じる少数派の声にも。

俺はパレスチナ解放のデモには行かない。パレスチナ解放運動のスカーフは買わないでStanding Together に寄付してくる。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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