今日のピックアップNYT記事:When States Try to Take Away America’s Freedom of Thought
俺的記事まとめ
大学という場所は常に、社会的議論の中心地として機能してきた。学生や教授が時事問題について自由に議論を交わし、賛否両論を吟味して問題解決のためのスタンスを強化する。自由に議論できる文化を守ることは、大学の使命であって然るべきだろう。大学のみならず、世論に影響を及ぼすあらゆる機関にも、同じことがいえる。
アメリカの政治的議論は近年、右派・左派ともに、互いを黙らせようとする試みに終始している。ここで懸念すべきは、個人の言論に州政府の介入が始まっているという点だ。フロリダ州はじめ、複数の州が「人種」「ジェンダー」「アメリカ史における奴隷制」などについての言論を規制する法律を成立させている。
イスラエル・パレスチナ関係の専門家であるネイサン・スラール氏は、アーカンソー大学での講演に招待された。しかし、州立大学(州政府)から講演料を受け取るには、「イスラエルをボイコットしない」という誓約書に署名しなければならないという。スラール氏はこれを拒否、講演は実現しなかった。学生たちが今もっとも理解を深めたいトピックであるイスラエル・パレスチナ問題について、専門家の話を聞く機会が州政府によって奪われた形となった。
政治的な抗議声明やボイコットは、合衆国憲法のもと表現の自由として認められている。ジョージア州の地方判事は、ボイコット禁止法は特定の政治的信条を強制するものとして、違憲の判決を下した。しかし上訴裁判所では、ボイコット禁止法は言論を規制するものではなく、州政府との商取引を規制するものであるという、不可思議な根拠により合憲と判断した。
実際のところ、ボイコット禁止法とは、明らかに商取引ではなく宗教的・政治的な言論を対象としている。アーカンソー州バート・へスター上院議員は、スラール氏講演の件について、「テロリストを擁護するような講演者を、大学キャンパスから締め出すことができて良かった」と述べている。
法律によって言論の自由を抑え、世論をコントロールしようとする動きは、主に右派の政治家が好むやり方ではある。しかし我々は、左派による言論統制にも警戒する必要がある。
カリフォルニア州では最近、州の公務員であるコミュニティカレッジの教員に、人種差別反対の原則を学生に教えることを義務付けた。教員は、多様性を尊重し、個人的に社会的不平等の是正に貢献しているかを査定されるという。しかし、表現の自由を擁護するPENアメリカ(米国ペンクラブ)は、大学がDEI(多様性、公平性、包括性)プログラムを重視する自由と、DEIプログラムを義務付けることは別物であるとし、カルフォルニアの措置は言論統制であると批判している。
一部の大学では、DEI原則を遵守するという声明への署名を、新規雇用の教員に義務付けている。ある著名な心理学の教授は、DEI署名は表面的なパフォーマンスであると評し、その有用性を疑問視する声を上げたために、UCLAで教鞭を取ることが叶わなかった。ちなみにこの教授は、DEIが推進するアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)を支持している。
差別や不平等に敏感であることを目指して始まった政治的左派の「不適切な言論の是正」は、キャンパスで意図しなかった結果を生んでいる。大学における言論の自由は平衡感覚を失い、多様な意見を受け入れる文化ではなく、反対意見を抹殺する動きへとエスカレートしていった。右翼左翼に関わらず、言論を均一に統制しようとするポリシーの「検閲性」に、すべてのアメリカ人は危機感を抱くべきだろう。
俺的コメント
「アメリカ史における奴隷制」ですが、これは日本史でいうと従軍慰安婦とか南京虐殺のようなものでしょうか。どこの国の右翼も、負の歴史的事実は無かったことにしたいんですかね?じゃあ左翼がどんだけご立派かというと、多様性大好きなくせに意見の多様性は認めないという自己矛盾ぶり。右も左も、反対意見は傾聴するどころか徹底的に潰す方向で行きたい、と。
イスラエルボイコット禁止法が合憲である根拠として、言論の自由ではなく「州政府との商取引」に関する法律だから、という謎のロジックは、わからないでもないです。州立大学からの支払いは税金で賄われるわけですから、中立であるべき公立校は、政治色がある物事には税金を使いませんよ、というのは真っ当な原則であるように思えます。しかしイスラエルのボイコットに大賛成している人から見たら、ボイコット禁止法は「親イスラエル」でございましょう、中立ではなくて。個人的には、平和的共存のための「政治と宗教の話はしない」原則を立法者は意図していたと思いたいです。
大学の存在意義を考えれば、政治的な話題を扱う講演に価値があるのは自明なこと。親パレスチナと親イスラエル両方の講演者を呼んでバランスを取れば良いだけじゃないの、対立する視点を両方見せて学生に考えさせなさいよ、と思いますが…なぜ、言論のバランスを取る、ということがそれほどまでに難しいのでしょうか。
もし俺が件の講演者だったら、ボイコットしません宣誓書にしれっとサインして、とりあえず学生たちに話を聞かせる機会は確保する。もちろん税金で賄われる講演料もいただく。その上で、イスラエルのボイコットに参加したかったら、する。それで法律違反だと言われたら、裁判なり何なり、出るところに出て争うべよ。商取引に関する政治的中立には賛同する、ただし個人の表現の自由は行使させていただく、ってことで。自己矛盾だ?いや、表現の自由を認めない自由主義者の自己矛盾よりマシでしょう(笑)
