今日のピックアップNYT記事:It’s Christmas, and England’s Priests Have Had Enough
俺的記事まとめ
イングランド、ヨークシャーの12月。寒さが厳しくなる中、ドンカスターのある教会では、教会ではなく地元の体育館で礼拝を行なっている。築千年にもなる教会では、一度の礼拝に200ポンドもの光熱費がかかってしまうからだ。教区担当の牧師は、体育館が使えることに感謝しながらも、「イングランド国教会は多大な資産を有しているのに、なぜ地元のコミュニティに教会の不足分を負担させるのか」と現状を嘆く。
英国では今、貧困問題が深刻化し、公的サービスは悲惨な状況にある。社会不安が深まる中、さまざまな分野の労働者が立ち上がりストライキを決行、労働闘争の高まりは、サッチャー時代のレベルに達している。その大きな波は、かつて労働運動とは無縁だった領域にまで広がっている。イングランド国教会だ。
聖職者が労働組合に参加するということは、少し前までは考えらないことだった。イングランド国教会は保守党と深いつながりがあり、聖職者による組合運動は、政治的に不適切であると同時に、「神に仕える」という神学的な理念にも反すると考えられていた。
時代は変わり、英国最大の労働組合ユナイトの聖職者分派の組合員数は、全聖職者の10%に近づきつつある。数字だけ見るとたいした規模ではないように思われるが、かつて組合とは無縁だった分野から、勧誘の結果としてではなく自然発生的に増えた数としては、注目に値する。
聖職者は、厳密にいうと労働者ではなく、給料(サラリー)とは異なる俸給(スタイペンド)を受け取る教会役員である。国の最低俸給額は2万7千ポンドほどであり、ユナイトによると、聖職者は「ワーキング・プア」に分類されることになるという。また、イングランド国教会の管轄下にあるそれぞれの教区司教が俸給額を自由に決めることができ、通常は最低額ラインをわずかに上回るのみで、物価の高騰を加味した額にはなっていない。
聖職者には、俸給のほかに、家賃がかからない教会支給の住宅が与えられる。住宅事情が厳しい英国において、これは非常に大きな特典に思えるかもしれない。しかし、こうした教会付きの住居は、通常大きくとも老朽化が激しく、莫大な維持費と光熱費がかかる上に、修理をしようにも教区司教の決断に左右される。
困窮しているのは聖職者だけではなく、信徒も同様である。13年に渡り保守党が先導してきた緊縮財政は、公的サービスを必要最低限にまで削ってきた。生活費の高騰もあり、人々の暮らしは非常に苦しくなっている。ホームレスや鬱を患う人の数は過去最悪のレベルに達し、生活苦を訴える信徒に対して、聖職者はソーシャルワーカーとしての役割も果たすようになっている。牧師の住居は公に知られており、いつ誰が助けを求めてドアを叩いても、拒否するわけにはいかない。
生活困窮者の救済に関わる寄付やボランティアは、多くを教会に頼り、フードバンクの運営、ホームレスが暖を取れる場所の開設、毛布や防寒具の寄付と配布なども、教会が行なっている。信徒の精神生活だけでなく、日常生活の支援にも関わる聖職者にとって、慈善活動の増加は大きな負担となっている。組織の効率の悪さ、教会の閉鎖や教区の統合なども、負担を大きなものにしている。
一般的に、聖職者たちは自らが直面する問題についてあまり語ろうとしない。聖職者の仕事は、通常の職業ではなく「天職」とみなされ、(神への)奉仕という概念が基本にある。自己犠牲を伴う道を自ら選んだ聖職者にとって、自らの権利を要求することは難しい。また、過酷な状況に甘んじることは決して悪いことではない、と考える聖職者は多い。イエス・キリストに倣うことになるからだ。
しかし、一部の聖職者は、苦境に置かれることを「聖職者として当然のこと」ではなく、労働運動に参加すべき根拠として捉えている。彼らは、英国で労働組合の発祥となった1834年「トルパドルの殉教者」事件を引き合いに、キリスト教と労働運動の結びつきを強調、社会主義的なイデオロギーと「神の元の平等」の類似性を闘争の拠り所としている。組合運動のモットーとして知られる「一人の怪我は全員の怪我」は、聖書「コリント人への手紙」の一説「もし一人が苦しむなら、全員が苦しみ、一人が重んじられれば、全員が重んじられる」の翻訳と読み取ることができる。
組合活動は、聖職者に不公平と戦う場を提供する。政治や宗教の話はタブーであるとよく言われるが、このタブーに従っていては、社会への不満を抑え込みたい権力者の思う壺になってしまうと、ドンカスターの牧師は主張している。
俺的コメント
聖職者の労働闘争という、興味深い話題です。牧師様は奉公先である神様と闘争するわけにいきません。教会の暖房費をケチるのはイングランド国教会、その一番上におわしますのはチャールズ国王ですかね?しかしアメリカあたりの資本家と違って、国王には金も権力もなさそうな印象です。いえ、金がないわけではないのでしょう、王室の維持には莫大な金がかかるといいますから。人気ドラマ「ダウントン・アビー」でも、歴史的建築物と貴族のライフスタイルを維持する苦労が描かれておりました。けして浪費はしていないのに、存在そのものに金がかかるというやつ。予算がなくて維持できない教会、イングランドにはたくさんありそうです。
社会主義的な怒れる牧師様に俺が聞きたいのは、尊師らは体育館での礼拝を続けたいのか、それとも金さえあれば築千年の歴史ある美しく荘厳な教会で礼拝をしたいのか、ということです。この記事で引用されている牧師様は、イングランド国教会は貯め込んでいるくせに教区民のために金を使おうとしない、と示唆しています。上層部が出し惜しみしている教会の資産というのは、全国の築千年の教会を今後も維持していくのに十分な額なんでしょうかね?特権階級とズブズブだった故に栄華を極めた教会という組織は、労働組合と共に特権階級の解体を目指したその後、一体どこに行き着きたいのでしょう。文化遺産でもある美麗な教会こそ、祈りにふさわしい場所なのか、それとも、莫大な維持費のかかる建造物としての教会など、いかに美しかろうと、特権階級とともに解体してしまうべきなのでしょうか。
俺の義理母は、お亡くなりになられたエリザベス女王を深く敬愛する典型的な英国人庶民であります。王室は廃止するべきだと思う?と尋ねましたら、「とんでもない。そんなことしたらイングランドがイングランドでなくなってしまうし、観光客が来なくなるじゃない!」と仰いました。特権階級は人民の敵でありながら、特権階級が象徴するものは人民の心の拠り所でもあるという、英国の不思議でございますな。
