3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


進歩主義から保守への転向、なぜ?変節を促す文化とは

今日のピックアップNYT記事:What’s Driving Former Progressives to the Right?

自他共に認めるリベラル派だった人々の右傾化が続いている。有名なところでは、環境活動家から陰謀論者に転向したロバート・F・ケネディ・ジュニア、超保守団体YAFから10万ドルの賞金を獲得したかつてのリベラルジャーナリスト、マット・タイービなどが挙げられる。

有名人に限ったことではない。万人に「意識高い」市民であることを求め、自虐的な反省を強いる左派自由主義に辟易した普通の人々が、右へ右へと流れて行く。リベラル派市民にとっては、「向こう側に行ってしまった」家族や友人と絶縁状態になった、尊敬していた知識人が、同一人物とは思えない発言をするようになったなど、困惑の時代といえる。

なぜ人々は右傾化するのか。一部の有名人の場合は、経緯がはっきりしている。「キャンセルカルチャー」の犠牲になり、公の場で吊し上げにあったのがきっかけで左寄りの世界観に愛想をつかした、というものだ。しかし、これだけでは、全体的な右傾化の説明にはならない。大衆の不満を政治的立場の強化に活かすという点において、なぜ左派はこれほどまでに右派に遅れをとることになったのか。

ひとつの答えは、左派の文化は、右派にくらべて、中立な人々に対する包容力に劣るという点だろう。政治的右派も、保守の信念に反する人間には容赦がない。「子供がいない生活」を謳歌する女性への攻撃などはその一例だ。しかし、右へ転びそうな隙がある人を熱烈歓迎するのも右派の特徴である。

「人間は自分を攻撃してくる集団からは離れ、受け入れてくれる集団に属したがる。」これは当然として、大衆の右傾化には、もっと深刻な原因があると筆者は考える。それは、左派が理想とする「進歩的な社会」の具体的なビジョンがはっきりしていないという点だ。「社会全体の解放」というような理想を論じる左翼は多いが、「パレスチナの解放」といった具体的な目標は理解できるものの、全体像としての「解放された社会」とは、一体どんな世の中なのか、さっぱりわけがわからない。

その点、右派には、左派の解放対象から外されたグループへの訴求力がある。こちら側に味方すれば、こんないい世の中になりますよ、という未来図を描いてみせる必要はない。単に、古き良き時代に戻りましょう、と昔を美化して見せれば良いのだ。特に、「古き良き時代」を覚えている人々には、強力なメッセージとなる。

馬蹄形説というものがある。これは、右派も左派も、両極では中央に向かって曲がり、馬蹄形を成す、とする説だ。しかし、現在の動向を見ていると、右側に転向した人々が、かつて極左だっというケースは少ない。今やキングオブ右傾勢力のイーロン・マスクも、かつてはごく一般的なリベラルだった。

馬蹄形説よりも理解に役立つ考え方として、「ダイアゴナリズム」がある。ダイアゴナルとは、対角線上に斬り込むことだが、右翼·左翼に対する従来的な攻撃パターンを反転させ、個人の自由に敵対するすべてを否定するというものだ。極端なダイアゴナリズムでは、人間の自由を妨げるものはすべてが陰謀であるという結論に辿り着く。政府を確立するプロセス(選挙)も権力者にコントロールされており、力を有するものの陰謀である以上、正当ではあり得ないということになる。

こうした陰謀論政治は、破壊的な結果にしかならないが、人々の感情に訴えかける力はすさまじい。トランプ時代ともいうべき現在、すべての右派は意見の違いを超え、醜悪な夢を共有しながら、大きなひとつのまとまりになりつつある。もちろん、その夢が醜悪だとは誰も思っていない。彼らにとっては美しい夢なのである。彼らと戦うには、左派もまた、自分たちの美しい夢を持たなければならない。

俺的コメント

パンデミックをきっかけに、友達や家族が陰謀論に転向し、話が通じなくなったので絶縁したという話、カナダでは身近によく聞きます。親しい人とは政治や宗教の話はしないという一般常識さえあれば大丈夫、というわけにはいかなくなった感じの北米社会。

「転びそうな人を熱烈歓迎する」これは、フリーダムコンボイが地元に来たときに目の当たりにしましたねえ。信者じゃなくても遊びに来てね!っていう教会のファミリーイベントみたいなノリの陰謀論フェスに、私財を擲って協力する人が続出。文化人類学的にたいへん興味深い現象でありました。

左派の文化には包容力がない、と記事にもありましたが、家族友人との「パンデミック絶縁」において、絶縁を選ぶのは反陰謀論側の方が多い、というイメージがあります。右傾した人は「お友達でいたいのに、相手が勝手に去っていった」と主張、左寄りの人は偏狭だからね~っとなり、左寄り市民は「右翼に偏狭だとか言われたくない」と思うわけですが、これが「ダイアゴナリズム」ですよ。リベラル=寛容、保守=偏狭、だったはずなのに、いつのまにか逆にされてしまうのです。ダイアゴナリズムについては、記事中にも引用されている「ドッペルゲンガー」の著者、ナオミ・クラインの記事を読むとよくわかります。

左派に明るい未来の明確なビジョンがないから「古き良き時代に戻ろう」に負けるっていうのはどうなんでしょうね?「あんな時代に戻りたいですか」とかつての黒歴史を指摘するのでは効果がないのかなあ?

にしても、同じ左派でも、中道左派ほど右にいっちゃう傾向が強いということで、もしかして俺も危ないのかしら(これを読んでいる友人諸氏、絶縁しないで~!)。こないだNYTのイーロン・マスクのインタビュー聞いて、なんだコイツけっこういいヤツじゃん、と密かに思ってしまったとですよ。そんなことを言ったら子供に絶縁されるかもしれないのでヒミツにしておきますけど。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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