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俺的記事まとめ
反ユダヤ主義とは一体何なのか。実に定義が難しいこの問題を、筆者が問答形式で解説を試みます。
Q: ある言動が「反ユダヤ主義」であるという批判、そうした批判への反論が色々と取り沙汰されていますが、何をもって「反ユダヤ主義」なのか、さっぱりわけがわかりません。同じユダヤ人でも、全然違う意見を言っている人ばかりで、お手上げです。
A: ユダヤ人が2人いると、意見が3つに割れるんですよ。
それってステレオタイプなんじゃ?
その通りです。ユダヤ人の間で、意見が一致するのはまれなことですが、「ユダヤ人は議論好き」という点に関しては、ユダヤ人があまねく同意するところです。
それでは、あなたの一意見、というか、「一つ半」の意見でいうと、反ユダヤ主義とは?
陰謀論です。ユダヤ人は汚いやり方で邪悪な目的を達する術に長けているから、暴力を含むあらゆる方法で押さえつけければならない、という。
それは一般的な定義ですか?
いえ、私の個人的な見方です。より広く使われる定義は、国際ホロコースト記念協会による「ユダヤ人に対する憎悪として表現される、ある種のユダヤ人観」というものですが、「ある種の」というフレーズのせいで、「反ユダヤとは」という疑問に答えるどころか、さらなる疑問を呼び起こす定義となっています。
なぜ、反ユダヤ主義は陰謀論なのですか?ユダヤ人に対する単なる偏見とどう違うんですか?
ユダヤ人と反ユダヤ主義は非常に複雑なものなので、「単なる」などという言葉で片付けることはできません。ユダヤは国であり、宗教であり、文化であり、「その他」であるのです。ナチスがそうであったように、ユダヤを「人種」だと思っている人がいますが、これは間違いです。
反ユダヤ主義は、ユダヤに対する政治的な反対勢力、宗教的な憎悪、文化的蔑視、外国人嫌悪、人種差別など、形を変えながら何世紀にも渡って続いてきました。その時代の偏見に合わせて姿を変える反ユダヤ主義という病は、環境に適応して変異するウィルスのようです。しかしすべての変異株に共通するのは、陰謀論です。
例えば?
例えば、ユダヤ人がローマ人にイエス・キリストを殺害させたという話。中世では、ユダヤ人が井戸に毒を仕込んだからペストが流行ったという話。最近では、ユダヤ人が経済力を使って戦争を始めたとか、メディアやハリウッドを牛耳って世論を操作し、モラルを低下させているとか。議会やホワイトハウスを陰で操り、中東で戦争を起こしてイスラエルの利益を拡大したという言説も然りです。
その最後の例は、ある意味、事実では?アメリカがイラクで戦争をしたのは、ポール・ウォルフォウィッツらユダヤ人の政府高官が仕組んだからではないのですか?
違います。イラク戦争を始めたのはジョージ・W・ブッシュであり、ディック・チェイニーであり、ドナルド・ラムズフェルドです。国のトップに立つキリスト教徒の行いを、その下にいたユダヤ人高官のせいにするというのは、典型的な反ユダヤ主義の言説です。
なるほど。そういう見方はしたことがありませんでした。
レイシズムの多くが無意識的なものであるように、無意識の反ユダヤ主義は広くはびこっています。
しかし、反ユダヤ主義が陰謀論なら、なぜ、多くの人々が反シオニズムを反ユダヤ主義の現れだと言っているのですか?
反ユダヤ主義が政治的憎悪の形を取るということを思い出してください。シオニズムとは、ユダヤ人国家の存在を支持することですが、これは現代においてはユダヤ政治の中心的な原則です。しかし、反シオニズムでさえも、陰謀論の様相を呈してきています。
どういうことですか?
19世紀ドイツの反ユダヤ主義者にとって、ユダヤ人は詐欺師だったのです。反ユダヤ主義者が「ユダヤ人」だと見なしているのに、自分たちは「ドイツ人である」と国籍を詐称し、生粋のドイツ人だけが受け継ぐべき世襲財産を横取りする存在なので「詐欺師」です。21世紀の反シオニストにとっては、ヨーロッパから来た侵略者のくせに「聖地との歴史的な繋がり」を主張してパレスチナ人の遺産を奪い取る「詐欺師」です。
上記のどちらのケースでも、ユダヤ人は「よそ者」扱いされています。昔の反ユダヤ主義者は、ユダヤ人を「中東人」とみなし、現在の反シオニストは、ユダヤ人を「ヨーロッパ人」とみなしている点が違うだけです。
なるほど。でも、超正統派ユダヤ人の中には、反シオニストを自認している人もいますよね?
その通りです。そのようなユダヤ人は、反ユダヤではないと認定していいです。基本、どの国のナショナリズムにも反対するというのなら、大手を振ってユダヤのナショナリズムに反対すればよろしい。しかし、あらゆる国が存在する権利を認める、ただしユダヤ人の国は除く、というのであれば、それは反ユダヤ主義ということになります。
しかし、パレスチナ人の国を支持することは、必然的にユダヤ人の国に反対するということになりませんか?
これはどちらかの側に立つというような問題ではありません。イスラエル国家もパレスチナ国家も両立すべきだし両立できるのです。イスラエルは、国連での投票という合法的なやり方で建国されましたが、すぐにアラブ諸国によって反対され、アラブはイスラエルの破壊を始めました。2000年に、当時のイスラエル首相はパレスチナ指導者のアラファト議長にパレスチナ建国を認める提案をしましたが、アラファトはこれを退け、その後23年に渡って悲劇をもたらしました。
ガザの現在の状況もそうですよね。イスラエルはジェノサイドを行っていると批判されています。
この批判もまた、反ユダヤ的発言であり、明らかに間違っています。イスラエルがガザでジェノサイドをしようと思えば、手段はいくらでもあります。ユダヤ人自身が歴史的に最大の被害者である「ジェノサイド」を、ユダヤ人みずから行っているという批判は、卑劣な中傷です。ジェノサイドであると決めつければ、我々が10月7日に目撃したような(ハマスによる)殺戮を持ってしてでも、阻止すべきということになります。
ジェノサイドという批判そのものは、私も賛成はしませんが、イスラエルの報復は、やりすぎだし非人間的で、逆効果ではありませんか?
個人的にそうは思いませんが、それは真っ当な批判です。イスラエルのヨルダン川西岸政策やベンヤミン・ネタニヤフの極右政権に対する批判と同様、正当な批判であり、多くのイスラエル人やアメリカ人も同意するところです。
反ユダヤとは、右翼的なものかと思っていました。しかし、現在の反ユダヤ的とされる言動の多くは、自称革新派の人々によるものです。どうしてこうなったのでしょう?
こんなことを言った人がいます。「ユダヤ人の世俗的な宗教は行商であり、その神は金である。」誰の言葉だと思います?カール・マルクスですよ。
左翼的な反ユダヤ主義は、常に存在していました。ソビエト連邦が国内で奨励し、冷戦時代を通じて外国にも普及させました。ソビエトがやっていたことを西洋のアカデミアが引き継ぎ、脱植民地化という枠組みの中にイスラエルだけを閉じ込め、他の国については構いなしとしているのです。トルコのクルド人に対する扱いや、インドのカシミールに対する行為に抗議するアメリカの学生運動なんて、聞いたことないですよね。
なぜユダヤ人だけが、違う扱いを受けるのでしょう?なぜ、反ユダヤ主義は、形を変えながら、何世紀も続いているのでしょう?
ユダヤ人は、現在なら常識ではあっても、大昔の人間にしてみれば急進的な考えを持っていたのです。それが、一神教であり、自由主義であり、読み書き能力であり、「天国のための議論」という伝統です。
一神教は、「汝殺すなかれ」といった倫理的原則を、国や文化に関わらず、すべての人間に要求します。旧約聖書の出エジプト記は、自由を希求するすべての民族にとってインスピレーションとなります。「我々の民を解放しろ!」という話ですから。読み書き能力は、これを身につけないと「大人のユダヤ人」であると認められません。読み書き能力とはすなわち、蒙を啓く上で不可欠なものです。
「天国のための議論」とは、意見の相違を認め、対話を図ることですが、これはあらゆる民主国家にとっての基本原則です。それをユダヤ教では「宗教的な伝統」の中に組み入れていたのです。人民を無知蒙昧なまま隷属させたい支配者やイデオロギーに、ユダヤ人が嫌われてきたのは、当然といえば当然です。反ユダヤ主義が台頭するとき、標的となるのはユダヤ人だけではありません。自由、教育、人間の尊厳といった、ユダヤ人であるかどうかには関係なく、すべての人間が共有すべき価値が、攻撃の対象となるのです。
俺的コメント
とても面白い記事だったので、まとめというか、ほぼ全文です。弁を弄する感がモリモリの記事ではありますが、「天国のための議論」については、深く頷きながら読みました。「天国のための」という表現が「なんじゃそりゃ?」なので、わかりやすい解説はないかな~と探してみました。こんな動画はどうでしょう?字幕も英語なので解説しますと、意見を異にする人々が平和に暮らしていくためには、議論をする上で 1)個人攻撃をしない 2)問題解決を優先し、議論に勝つことを優先しない 3)反対意見にも耳を傾け、自分が間違っている可能性も意識する 4)対立する意見がどちらも正しい(間違っていない)場合があると認める。この4つを守ることで、人々は殺しあうことなく、みんな揃って天国に行けると。
宗教といえば、教義に疑問を挟む余地なしという頑迷さを想起しますが、実はユダヤ教の教えには、「反対意見に耳を傾ける」という、頑迷とは真逆の高度な精神活動が組み込まれていたと。反対意見をリスペクトできるからこそ、ユダヤ人は「議論好き」なのかもしれません。
俺的に、この記事で腑に落ちなかった点は、ジェノサイド批判に対する否定の部分です。しかし、その強い否定の裏に、反対意見を傾聴するユダヤの伝統が存在していると思えば、意見は違っても話は通じるだろう、という安心感が芽生えます。ただし、戦争(=殺人)やってる時点でお前ら天国にいけるのかよ、と思ってしまいますが…
