3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


スタンフォード大学キャンパスのパレスチナ・イスラエル戦争

今日のピックアップNYT記事:The War Comes to Stanford

スタンフォード大学4年生のユダヤ人学生、アルマ・アンディーノは、ハマスがイスラエルを攻撃した日を泣きながら過ごした。あの日のアメリカ国内のすべてのユダヤ人と同様、週末は親族や友人の安否を確認する電話のやりとりに終始した。

アルマは社会正義と反戦運動の学生グループに所属しており、グループ寮(ハウス)に住んでいる。週明け、ハウスメイトのひとりが寮に掲げる横断幕を見たかと尋ねてきた。そこには、流血をデザインした文字で「シオニズムはジェノサイドである」と書かれていた。キャンパス内には、他の場所にも同様のスローガンが張り巡らされた。

火曜日、スタンフォード大学の学生新聞は、ハマスによる攻撃を「何十年にも渡るイスラエルのパレスチナ抑圧に対する戦いの一環であり、パレスチナの人々は、占領と差別に抵抗する正当な権利がある」と評した。

あるスタンフォード大講師は、授業中に「ユダヤ人は手を挙げるように」と指示し、挙手した学生の一人から持ち物を取り上げた。そして他の学生たちとは離れた場所に座らせ、「これが、イスラエルがパレスチナ人に対してやっていることだ」と言った。別のユダヤ人学生には、「ホロコーストでは何人のユダヤ人が殺されたか」と質問し、「600万人」と答えた学生に、それよりも何百万も多い人間がイスラエル入植によって亡くなった、と返したという。さらに、この講師は学生全員に出身地を尋ね、答えに応じて「侵略者側」と「被侵略者側」に分類した。ある学生が「イスラエル人」と答えたところ、「侵略者側」に分類されたという。

スタンフォード大学ユダヤ人学生協会がハマス襲撃で亡くなった人々の追悼集会を催した直後に、イスラエルを非難するメッセージが、キャンパス内の歩道にチョークで落書きされた。「盗まれた土地での平和はあり得ない」などの落書きを大学当局は放置し、横断幕も掲示場所さえ規則に準じていれば、テロ擁護の内容については構いなしとした。パレスチナ擁護集会には、200人の学生が集まり、ガザ地区に親族がいるという女性は、「ハマスを非難するかと私たちに尋ねるのはもうやめてほしい。私はレジスタンスを誇りに思う」と発言、拍手喝采を浴びた。

スタンフォード大が言論の自由を尊重する姿勢は正しい。しかし、テロリズムに対する立ち位置は、明確にするべきではないのか?「教育機関として、政治的な問題に中立」であると大学は声明を出したが、過去に気候変動やヘイトクライムに対しては、大学としての立場を明確にしている。その後、大学側の声明は「我々はすべてのテロ行為に反対する。これには、ハマスによる民間人への攻撃も含まれる」と修正され、前述の講師については、内部調査が終わるまで謹慎処分となることが伝えられた。スタンフォード大に限らず、ハーバード大学その他のキャンパスでも、ハマス奇襲に関連する初期の対応は曖昧であり、プレッシャーがあってはじめて声明を出した感は逃れない。

アルマは、ハウスメイトたちに横断幕を取り下げてくれるよう懇願し、数時間にわたり話し合ったが、イスラエルの存在に正当性が認められない限り、横断幕は取り下げられない、と拒否された。「学生運動家として、我々は歴史的に見て正義の側に立たなければならない。抑圧されている人々を応援しなければならない」とハウスメイトたち。「ただしユダヤ人は除く、ということ?」というアルマの問いかけは、冷笑されたという。

「同じ人間として、悲しみを尊重して欲しかったのに、私の親族の死が同情に値するかどうか、ハウスメイトたちは公開裁判のような形で審議した。皆イデオロギーの正しさに固執するあまり、私を共感に値する人間として見てはくれなかった。」

全ての学生を「侵略者側」と「被侵略者側」に分割し、民族的な出自によって個人がジャッジされる大学の文化の中では、虐殺を非難する立場に右も左もないことを理解できない学生が多いようだ。民間人に対する残忍な暴力を否定することは、基本的なモラルの問題であることを、スタンフォード大学は知るべきだろう。

俺的コメント

極左と極右は同じ顔をしていることがよくわかる記事です。記事まとめで「侵略者側」と「被侵略者側」としましたが、原文はcolonizer (植民地化する者)とcolonized(植民地化される者)です。件の授業に日本人がいたら、colonizerに分類されたことでしょう。侵略したことも侵略されたこともある国の人間はどうなるんですか?

スタンフォードとかハーバードとか、超絶賢い人々が集う場所でしょうに、共感力とか想像力の欠如は知性とは関係ないんですかね。記事内「ガザに親族がいる女性」の記述で思い出しましたが、抑圧された民族代表を神聖視する大学文化は、俺も経験したっけね。カナダの大学の文化人類学のゼミに、原住民の女性がいて、彼女の発言はすべてが「拍手喝采」されてました。ちょっとでも疑問を挟もうものなら、吊し上げですよ。俺は吊し上げの刑にはされませんでしたが、無知な東洋人は大目に見てあげましょう、と思われたようです。寛大なことで(笑)文化人類学なんて、一番「中立」が大事な学問だと思っていたのでカルチャーショックでした。

このゼミに限らず、サヨク的な立場に賛同しないと減点する先生は他にもいました。ESLの作文ですら、先生のサヨク意見に賛同しなかったら「そう思うのはあなたの自由だけど、その考えは間違っています」と添削されたっけね。

歴史学のことは良く知らんとですが、「歴史的に見て正義」っていう考え方が、そもそも理解できない。数学でいう虚数というやつですか?現実には存在しないが人間の頭の中にだけあるという?原爆は歴史的に正義ですか?ホロコーストは歴史的に正義ですか?学生さんは、議論するのが仕事だからいくらでも議論されたらよろしい、ただし、目の前で親族を失った人が悲しんでいるのに「自分の信念の方が大事」にならないでくれ。人類愛は信念の矛盾を許容し、信念に優先するものです。



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新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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