今日のピックアップNYT記事:The Reverberations of Pain and Its Dismissal
俺的記事まとめ
2020年、イェール大学の不妊治療センターにおいて、ある看護婦が、採卵を受ける患者の麻酔を生理食塩水に差し替えていた事実が発覚した。麻酔なしでの採卵は強い痛みを伴い、多くの患者は麻酔の増量を懇願したが、医療スタッフらは、すでに投与可能な最大量の麻酔を使っているとして、患者の訴えを退けた。
2020年末、実は看護婦が治療用の麻酔を盗み取っていたという知らせを受け、一部の被害者たちは集団訴訟を起こした。現在原告の数は68人に上るが、警察の調べのよると、およそ200人の患者が適切な麻酔なしに採卵された可能性があるという。
ニューヨークタイムズでは、被害者の女性12人への取材と綿密なファクトチェックをもとに、この事件についてのドキュメンタリーシリーズを制作した。人間の普遍的な体験である「痛み」を言語化することは難しい。シリーズでは、物理的な痛みに加え、権威ある存在に訴えを軽視される女性の社会的な痛みについても探っていく。
俺的コメント
イェール大学不妊治療クリニックの不祥事を扱ったNYTポッドキャストの紹介記事。非常にショッキングな番組です。衝撃その1:患者が痛みを訴えても、真剣にとりあってもらえなかった。こんなに痛がるのはおかしいと、誰も思わなかったのか?衝撃その2:モグリの町医者ならともかく、超一流の医療機関の話である。衝撃その3:看護婦が麻酔(フェンタニル)を盗むってどういうこと?しかもこの看護婦は、実際に採卵の現場にいて患者が苦しむ様子を見ている。フェンタニル依存の人は、ここまで感覚が麻痺するもの?
5回のシリーズは、麻酔を投与されていると思い込んだまま、無麻酔での採卵に耐えた女性たちの体験談を元に展開します。不妊治療という特殊な状況のせいか、被害にあった人たちの心情は、実に複雑です。たとえば、事件後に出産にこぎつけた人は、念願の子供を授けてくれたクリニックに、文句を言ってはいけないような気分になるみたいです。開腹手術とは違い、結果として我慢できる痛みだったという点も、ストレートに怒れない理由かもしれません。
麻酔をネコババした看護婦に対する感じ方も、被害者ごとに違っていて興味深いのです。一人の被害者は、たまたまオピオイド依存症の専門家であり、この看護婦に情状酌量を求めています。ネコババ看護婦は、性悪な元旦那と離婚係争中で、働きながら一人で3人の子育てをするストレスからフェンタニルに手を出したそう。彼女もまたオピオイド危機の犠牲者である、と被害者が加害者を弁護していることにビックリです。
ネコババ看護婦は、レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンのようなもので、三分の理がある盗人だとしても、イェール大学の対応には、同情の余地がありません。事件後、大学側が被害者に出した手紙では、詫びるどころか「麻酔なしで採卵しても健康に影響はありませんから」とかましたそうで、誠意のカケラもなし。
このポッドキャストを聞いて、以前目にした「妊娠・出産」についての本(日本語)を思い出しました。医師の監修による本でしたが、「出産の痛みを耐えてこそ母親の自覚が生まれる」的なことが書いてあり(つまり無痛分娩には反対)、なぜか「(夫との)セックスを楽しみましょう」のセクションには、かなりのページ数が割かれていた。
婦人科医療が男性目線に支配されているのは、日本だけではないということですね。麻酔なしでお腹の中をガリガリ引っかかれる痛みを我慢したのは、「ヒステリックで面倒臭い患者だと思われたくなかったから」と言っていた患者さんがいました。無痛分娩がデフォルトの国なのに、「女は痛みを我慢して当たり前」という父権文化が、高度生殖医療の現場にしっかり残っていたという。この不祥事が改革のきっかけになれば良いですが、ごめんなさいが言えないイェール大学。威光のある医療機関だけに、封建的で自浄作用がないんですかね。しっかりとお裁きを受けてほしいものです。
