今日のピックアップNYT記事:The Right is All Wrong About Masculinity
俺的記事まとめ
伝統的な「男らしさ」が危機に瀕している、と声高に叫ぶ右派のアメリカ人を見ていると、彼らこそが「男らしさ」とは対極にある言動をしている矛盾に気づく。
たとえばジョシュア・ホーリー議員。2021年の議事堂襲撃事件の際、押し寄せるトランプ支持者を煽るように拳を突き上げ、いかにも「男らしい」姿を見せている。ところが、群衆を煽っておきながら、議事堂内に侵入したモブが手に追えない状態になると、尻に帆をかけて逃げ出す姿が撮影されている。
ツイッターの右派発言を見てみよう。彼らが好むレトリックに、「ユナイテッド93便(9/11事件)状態」がある。アメリカの大統領選挙は、「このまま何もせずに死ぬか、コクピットを襲ってテロリストと対決してから死ぬか」に匹敵する緊急事態だという。2016年には、「ヒラリーが大統領になったらアメリカの破滅」、2020年には「バイデンが大統領になったらアメリカの破滅」と、大声で「緊急事態」を叫ぶのが大好きなのも、右派の特徴だ。
「男らしさ」とは、有事の際に冷静さを失わないことではないのか?ヒステリックな大騒ぎに加えて、右派のもうひとつの特徴は、執拗に悪態をつくやり方だ。小児性愛者を指す「グルーマー」は、特に右派が好きな言葉であり、ジェンダーをめぐる問題で右派の政治に賛同しない人間は、全員が「グルーマー」認定される。
「男らしさ」とは何なのか。若い世代の男性は、たしかにアイデンティティの危機に瀕しているのかもしれない。近年の調査によると、男性は学歴で女性に遅れをとり、自殺やドラッグの過剰摂取などのケースも、男性のほうが圧倒的に多いという。
2019年、アメリカ心理学協会では、「我慢強さ」「競争心」「支配的」「攻撃的」など、伝統的な男らしさと関連づけられる特徴は、全体として見れば有害であると述べている。この見解には、筆者は大いに異議がある。「支配的」は除くとしても、「男らしさ」にも大切な役割があるはずだ。どんな「らしさ」も行き過ぎれば毒になるのは当然として、問題はどのような場面で「男らしさ」が発現されるべきか、ということだ。
息子に捧げる言葉としてよく引用されるキプリングの詩、「IF」は、伝統的な男らしさを最も純粋に表現している。「周囲が狂っていても正気を保つこと」に始まり、冷静沈着に忍耐強く勇気を持ち続けることが男らしさであると、この詩は定義している。ただし、こうした美点は、男性だけのものではなく、女性にも当てはまると付け加えておく。
アメリカ右派的な「男らしさ」は、偏狭と狂信を強さや勇気と履き違えており、同じ「IF」でもキプリングの詩とは真逆の、男子校での虐めや体罰を描いた68年の映画「If もしも….」に描かれた世界に近いのではないか。
男らしさの喪失を憂慮するのは筆者も同様である。まずはキプリングの詩にあるように、「周りに流されず正気を保つ」ところから始めてはどうか。怒りを安売りすることなく、理性的に冷静に、「良い男」とはどうあるべきなのか、考えてみてほしい。
俺的コメント
キプリングのIFという詩は、英米版「雨ニモ負ケズ」という感じで、ストイックな生き方を表現した名作です。詩の構造としては、「If <男の条件>, you are a man」なのですが、<男の条件>にあたる部分が「信念を持ちながら批判にも耳を傾ける」「自分が語った真実を捻じ曲げらても動じない」など、かなりハードル高いです。思考停止状態のままグルーマーを連呼する右翼の旦那には、ひとつも該当しません。
勇気と冷静さを持ち続けた歴史上の「男らしい」人物といえば、沈みゆくタイタニック号でパニックを鎮めるべく演奏を続けた楽団の人たち、墜落の直前まで「どーんと行こうや」と副操縦士を励ましていた日航123便の機長さんなどを思い浮かべます。
しかしこの記事にも注記がありますように、勇気は男の専売特許ではございません。タイタニック号は女性の船上楽師がいない時代の船であり、日本で最初の女性機長さんが誕生したのは123便の事件から30年以上も後のこと。「男の中の男」として記憶に残る彼らは、「たまたま」男性だったのですね。しかし、男女の棲み分けがはっきりしていた時代は、理想とすべき「男らしさ」が明確であったのでしょう。
アメリカで男性がアイデンティティの危機に陥っているというのは、なんかわかる気がします。先日のバービー映画では、女性代表バービーが「私はケンを愛していないの」と宣言してましたが、要するにそういう時代ですよね(どういう時代だ、と思われた方はぜひバービー観てきてください!)
守るべき女性がいなくなり、「男ではない男」が市民権を得て、伝統的な男の価値が相対的に下がったような気分になるのでしょう。そのため、右翼の皆様は、「テロリストと対決する俺」的なヒーロー物語を演出することで男のプライドを保ってるという、なんとも情けない話です。ここでテロリスト扱いされているのは、中絶の権利を有する女とか、何の罪もないLGBTQピープルなわけで、迷惑ったらないですね。
マーガレット・サッチャーの旦那の話、知ってる?この記事のコメント欄にも引用されている有名な話を紹介します。英語では「かかあ天下」のことを、「嫁がパンツを履いている」と表現します。ふつう、女はスカート、男はパンツなので、女房が主導権を握っている夫婦ということね。鉄の女と言われたサッチャー首相、誰もが家庭でも「パンツを履いている」女だと思うわけですよ。で、意地悪な人が、サッチャーの旦那に向かって「パンツを履いてるのはどっち?」と聞きました。サッチャーの旦那は「僕ですよ。ちなみにパンツを洗濯してアイロンをかけるのも僕です」と答えた、と。男前だねえ。
なぜサッチャーの旦那が「男前」だと褒められるのか理解できない男、それがアメリカの右翼。
