今日のピックアップNYT記事:America’s Student Loans Were Never Going to Be Repaid
最初に:アメリカの教育ローンとは親が借りるものではなく、学生本人が借り入れるもの。日本でいえば返済義務のある奨学金、利子は平均で7%(!)くらい。
俺的記事まとめ
アメリカにおける教育ローン制度の現状は、バスタブから水が溢れる状態に似ている。蛇口から勢いよく出ている水は「高い学費を払うために大勢の学生が借りるお金」の流れで、「返済の滞り」が排水口を詰まらせ、バスタブから水が溢れ出る。なぜ排水口が詰まるかというと、政治家や大学側の主張とは裏腹に、大学に行っても「元が取れない」からだ。
多くのアメリカ人は、教育ローンの元本どころか、膨れ上がる利子を返すことができないでいる。2007年の不況以来、給料が伸び悩んでいるという長期的な問題に加え、教育ローンに頼る層が広がったという点も、滞納問題に拍車をかけている。例えば教職など、それほどの高収入が見込めない専門職に就いている人も、莫大な教育ローンを抱えるケースが激増している。
9月には、パンデミックで免除されていた教育ローン返済義務が再開する。バイデン政権によるローン免除の政策がどう進むかにかかわらず、現在の未返済残高および毎年借入が一千億ドルにも上る教育ローンは、今後けして返済されることがないだろう。現行の法律のもと、なんとかローン免除を実現しようと政府が右往左往する中、教育ローンを抱えた若者たちはライフプランのダウンサイズを迫られ続ける。結婚して子供を持ったり、家を買ったり、老後や子供のための貯金をするのも後回しになるだろう。社会的再生産の完全なる失敗である。
2009年から教育ローン債務者を追跡した研究結果によると、この問題に一番効果があった政策は、パンデミック期の返済一時免除措置である。2020年、教育ローンの返済残高が借入額を上回った債務者の割合は60.7%に達していた。パンデミックの間は利子の返済が免除され、2022年、残高が借入額を上回る割合は53%まで下がった。調査によると、女性、黒人、ラテン系人口は返済に苦しむ傾向が強く、男性、白人、アジア系は、返済残高を減らすことになんとか成功している。
この問題は、労働市場の構造的な不平等を反映している。社会的にハンデを抱えている層ほど、高収入につながる高等教育を受けようと、多額のローンを抱え込む。もともと経済的に恵まれている層は、大きな借金を抱えずにまともな収入が得られる職につき、ローンがあっても早く完済できる。パンデミック措置では、貧しい層ほど恩恵を受けることになったが、普通にしていれば返済が滞り、返済が免除される状況では返済できる、というシステムは、うまく機能しているとは言い難い。
この状況は、1970年代の政策に由来する。高等教育に投資すれば、労働市場で回収できるという考えに基づき、政府は大学の運営を税金で賄うモデルから授業料ベースのモデルに切り替えた。
大学に行かずにミドルクラスの仕事に就ける機会は、たしかに減った。しかし、学位をとったからといって、良い職にありつけ収入があがるとは限らない。現在の制度は、教育ローンを借り入れた労働者の生涯年収から最初にがっつり取り分を確保し、債務者が長期に渡り借金の返済に苦しんだあげく完済できなければ、納税者が最終的に焦付きを負担する形になっている。
大学に直接投資せず、代わりに教育ローンという形で税金が使われ、しかも返済が当てにできないという変なしくみは、大学にとってはおいしい話だ。建前上は、学生に選ばれる魅力的な大学であるためには、大学側も厳格な財務管理を強いられるはず。しかし、現実は違う。授業料に上限を設ける代わりに、政府から大学に助成金を出すというやり方だと、税金が正しく使われているか監査の対象となるが、それは大学としては避けたいのだ。社会的経済的に安全圏にいるビジネスモデルに慣れた大学は、監査を受けるようになったら生き残れないだろう。
返済が見込めない教育ローンは、教育政策の失敗を象徴する。保守革新どちらの政党も、この事態を生み出したネオリベ価値観を超える思考ができないようだ。共和党は連邦教育ローンの制限を提案しているが、これでは、白人の特権階級のみ高等教育が受けられる時代に戻ってしまう。
バイデン政権は、卒業生の収入とローン返済状況を大学が公開することを提案しているが、こちらも、教育が収入に直結すべき、という考えに囚われている。大学側は、卒業後のことは大学の責任ではない、と反対している。
この教育ローン問題を解決するには、政府が高等教育制度との関係を抜本的に改革しなければならない。授業料を財源としたモデルでは、大学は学費の支払い能力がある学生を奪い合い、最も援助を必要とする学生が、最もリソースの少ない大学に集まることになる。大学のリソースレベルはどこも均一で、さまざまな経済レベルの学生が全体的に分散されるような状態が、望ましい健全なあり方だ。
連邦教育ローンの構造は、社会の長期的なニーズを反映すべきであり、より健全なシステムに近づけるには、大学教育の費用が非常に低いことを前提にした教育ローン制度を整えるべきだろう。現在のシステムでは、「勝ち組」だけが良い思いをする社会で、なんとか良い仕事につこうと必死な学生が食い物にされ、大学と雇用主だけが教育制度の恩恵を受ける形になっている。
俺的コメント
「社会的再生産の失敗」という言葉が使われていますが、乱暴に言い換えると、「中流の子は中流の大人になれる社会システムが崩壊した」という感じでしょうか。例に挙げられている「教職」はわかりやすいですね。大学で歴史でも数学でも好きな分野を専門的に学び、卒業後は、たとえば高校の先生になる。教師の給与でささやかな家を買い大衆車を買い、子供を二人育て、たまには家族旅行もしながら、子供の学資と老後資金を貯金していける、「まっとうな中流」を育むことのできない社会になってしまったと。
今思うと、自分自身は実にまっとうな中流に育ちました。俺の親的には「中の下」という認識で、2人の子供をなんとか国立大学には行かせてやれるが私立は無理、というレベル。高校2年のとき、大学行くのやめようかなあ、と呟いたことがありました。それを聞いた母親は、「大学には行きなさい。4年間無駄飯を食った人間は、面白い人間になるから」と言いました。「面白い人間になるために大学へ行け」という発言が高卒の親の口から出るとは、一億総中流と呼ばれた頃の日本社会は、現在のアメリカが倣うべきユートピアだったのかもしれません。
カナダに来て一年目、社会科学を学んでいます、と自己紹介したところ、中国人の学生にビックリされました。なんでそんな役に立たない分野を勉強をしにわざわざ留学?と。上昇志向の強い中国人独特の感想なのかと思いきや、北米では、高収入の職業に直結しない高等教育は意味がないという考えの人が実に多いのでした。この記事でいう「ネオリベ的価値観」というやつですかね?自分の子供が考古学とか美術史とかを大学で専攻したいと言ったら全力で阻止する、という親は多いです。
そもそも親が自分の学費ローンを返すのに精一杯だったら、進路を迷っている高校生の子供に「借金してとりあえず大学へ行け」とは言えない。子供が大学で勉強したいことが、「役に立たない」分野だったら?借金地獄が待っているのに、親としては「役に立たない勉強して面白い人間になれ」とアドバイスはできません。こうして、面白い人間が少なくなり、借金に苦しむ人だけが増える社会になると。鬱だな。
