今日のピックアップNYT記事:Will Translation Apps Make Learning Foreign Languages Obsolete?
俺的記事まとめ
ヨーロッパでは、学生10人のうち9人が外国語を学んでいるが、アメリカでは5人に1人のみ。1997年から2008年の間に、アメリカで外国語を教える中学校の割合は、75パーセントから58パーセントに減少した。2009年から2013年にかけて、外国語学部を閉鎖した国内の大学は一校のみだったが、2013年から2017年では、651校に増えている。
こうした数字を見ると、語学は終末を迎えるのかと悲観的になる。しかし、最近のテクノロジーを目の当たりにし、考えが変わってきた。外国語を学ぶ人口の減少は、別に悲観するようなことでもないのかもしれない。
昨年、私の文体を使ってChatGPTに書かせたという論説を見せてもらった。割と面白かった。さらに、その論説を機械でロシア語に訳したものを見たところ、秀逸とは言い難いが、そこそこ使える感じだ。スピーチ翻訳アプリも進化している。最新のものは、話者のトーンまで再現できるそうだ。
こうしたツールのせいで、語学学習が完全に廃れるかといえば、決してそうではないだろう。実際の会話やニュアンスというものは、機械で正確に再現できるものではない。たとえば Tomorrow I start my diet(私は明日ダイエットを始める)という文章。「明日」の話なのだから、時制はwill start または going to start となるはずだが、これを省略するだけで、今までダイエットを先延ばしにしてきたことを匂わせる、ちょっと気合いが入ったニュアンスになる。
ニュアンスを正確に伝えることができなくても、実用という観点からいえば、現在のテクロジーは、外国語をあえて学習しなくても良いレベルに達している。実用性こそ、これまで語学を学ぶ最大の理由だったので、「サンドイッチとレモネードください」的な例文を載せた昔ながらの教科書は、今後不要になっていくだろう。
認知科学者のダグラス・ホフスタッターは、コツコツと時間をかけて語学をマスターする喜びは、「人間性の表現」であるといい、テクノロジーは語学学習の喜びを奪うと主張している。私もさまざまなレベルで語学を学んできたが、個人的には、外国語の習得が「人間性の表現」だとは感じない。驚かれるかもしれないが、優秀な言語学者でも、語学の勉強が純粋に楽しいという人は少ない。私は自分が語学好きなだけに、楽しいから外国語を勉強する、という人間は稀な部類に入ると理解している。
全国の熱心な語学教師の努力にも関わらず、学校で習った外国語を話せるようになるのは100人に1人。語学マニアにとっては、外国語は「登れるものなら登ってみろ」と登山家を挑発するエベレストのようなものだが、一般的には、外国語は、山向こうに至る道に立ちはだかる障害物にすぎない。普通、人間が重視するのは話の内容であり、その内容を「どう話すか」「何語で話すか」といったことは、関心の対象にはならない。
外国語の習得は、視野を広げると良く言われる。しかし、この決まり文句は、誇張されて広まった感がある。学校で習ったフランス語やスペイン語が、本当に視野を広げてくれただろうか?旅先で道を聞く程度のことであれば、今はテクノロジーのおかげでボタンひとつで解決する。
言語の多様性と複雑さに魅力を感じる人間としては、スマホさえあれば語学の勉強はしなくても良くなった時代に困惑してはいる。しかし、語学学習そのものが無くなるとは思わない。例えば外国へ引っ越す人には、これからも語学の勉強が必要になるだろうし、文学その他のメディアを原語で楽しみたい人も然り。なぜエベレストに登るのか、と問われた登山家が、「そこに山があるからだ」と答えたように、「そこに外国語があるからだ」と習得を試みる人もいなくならないだろう。外国語を学ぶ一般人口は減っても、語学自体は、職人的な愛好家が究める世界として続いていくはず。奇妙な言い方かもしれないが、それが語学の進歩の形であるということだ。
俺的コメント
大多数の人間にとって、外国語の勉強は徒労に終わると。100人に1人しか話せるようにならないというのは、この記事にもあるように先生のせいではなくて、人間の脳の構造によるものなのでしょう。俺的には中坊のころは英語の勉強が面白くてたまらない稀な人でしたが、大学で第二外国語だったロシア語は散々でした。現在は仏語圏への旅行に備えてデュオリンゴをやっていますが、こちらも絶望的です。学習アプリよりは、翻訳アプリにお金をかけた方が良いのでは、と思い始めました。
ただし英語から日本語への変換につきましては、俺の活計ではありますし、職人的な愛好家として芸域を広げていかねばなりません。そのために、翻訳ではない翻訳の試みとして、このブログをやっているのです。
記事の筆者は、ChatGPTが自分のスタイルを真似した文章を書いても「普通に面白い」と、動じないところがスゴイ。オピニオンライターという「職人芸」に自信があるからこその余裕ではないでしょうか。匠の域に達した職人は、AIとも仲良くつきあっていけるのでしょう。
北米ではマイナー言語である日本語の教師をしている知り合いが多いので、先生たちにも言いたいです。語学学習は廃れません、芸事として進化していくのです!外国語学部が閉鎖される、翻訳会社が潰れまくる、といった現象は、教師や翻訳者にとっては気の滅入る話ですが、俺たちには芸人として生き残る道が残されているようです。匠の技を目指して頑張ろうではありませんか。
