今日のピックアップNYT記事:Algorithms Are Making Kids Desperately Unhappy
俺的記事まとめ
今日の子供たちは、大人の想像以上に、がっちりとソーシャルメディアに囲い込まれている。この春、私(コネチカット州代表上院議員)は、地元の高校生とソーシャルメディアについて話し合う機会があった。90分の対話のあと、私はこれまで以上に、今の子供たちの状況と、彼らが受け継ぐ社会が心配になった。
ネットに対する能動性を完全にスマートフォンに委ねてしまった若者たちは、検索すらしなくなっている。自分が見ているコンテンツのデータを元に、関連コンテンツを自動的に生成し、スプーンで口元まで持っていくようなやり方で食べさせるソーシャルメディアに慣れきった子供たちは、批判的精神を持つ大人になる過程を学ばず、自分たちが何を失っているかに気づいていもいない。
ソーシャルメディアには、羨望や劣等感を刺激する「フェイク」なコンテンツが溢れている。年齢認証機能が緩く、有害サイトへの入り口としても機能する。脳が発達段階にある子供の精神衛生に及ぼす悪影響は深刻だ。不安や孤独を感じる子供の数は激増し、特に、ティーンの女の子や、性的マイノリティの子たちは自殺願望を感じる傾向が強く、危機に瀕している。
ネガティブな感情を喚起するコンテンツのほうが、心温まるコンテンツよりも、ユーザーの注意を長く引き付けるということを、ソーシャルメディア企業はよくわかっている。ローカルニュースで最初に殺人事件や火事のニュースが報道され、慈善活動のニュースが後まわしになるのと同じ理屈だ。自己肯定感の低いティーンには、ネガティブな感情を増幅するコンテンツが届くしくみになり、ある調査によると、TikToKをダウンロードして3分以内に自殺に関するコンテンツが届くこともあるという。
私は、子供たちをソーシャルメディアから守る法律を提案している。年齢認証の強化、13歳以下の子供にはソーシャルメディアの使用を完全に禁止するというものだ。
テクノロジーへの依存は、私たち大人の問題でもある。アマゾンに頼らなかった時代、お気に入りの曲がラジオから流れてくるのを待っていた時代は、遠い過去の話になってしまった。今や、情報も娯楽も、そして様々な「つながり」も、すべてベルトコンベアーの乗って目の前に流れてくる。つまり私たちは、目的地に到達するまでの「模索」や「試行錯誤」という、人間らしい手順を踏まなくなっているのだ。
AIの進化が私たちの精神に及ぼす影響は、ソーシャルメディアが子供たちに及ぼしている影響よりも、ずっと深刻なものになるはず。現在、AIは私の好きな歌を見つけてくれる。近い将来、AIは私の好きな歌を作ってくれるようになるだろう。
発見に至るまでの手順を踏まず、探究心を忘れた人間は、必ず痛い目を見る。機械とアルゴリズムがなんでもやってくれる世界で、私たちは本当に幸せになれるのか、大人も子供も含めて、対話を続けていく必要がある。
俺的コメント
お世話になった小児科の先生によりますと、メンタルを病む青少年の数はある時期から激増しており、その「ある時期」とは、某スマートフォンの初回リリース時と一致しているとのことです。自分の子供がソーシャルメディアを始めたときに一番ビックリしたのは、位置情報で友達がみんなどこにいるか一目でわかるというやつ。そりゃ心を病む原因にもなるでしょうよ…
マーケティングという業界の末端で仕事をしておりますが、最近の「顧客体験を制するものが市場を制する」というメッセージの喧しいことったら。この記事にある「スプーンを口元まで持っていって食べさせる」という表現が、マーケティング業界の目指しているものをよく表しています。上げ膳据え膳、至れり尽せり、痒いところに手を伸ばし、消費者様には何のお手間も取らせない環境をご用意し、やっていただくことはただひとつ、購入ボタンのクリックのみでございます、そんな素晴らしいカスタマージャーニー(この言葉聞くと吐きそう)を実現するために、AIを最大限に活用できる企業だけが今後勝ち残るのです。…ってな論文やらプレゼンやらを何度も読まされたり訳させられたりしてるんですが、げに恐ろしきは業界の視野狭窄ぶり。
最近はカスタマーサービスにAIが多用されていますが、お客様窓口では絶対に人間しか相手にしたくない、という人も多いでしょう。ウチの同居人もこの口で、本人は認めませんが、相手が人間ならどやしつけてやれますから、AIじゃイヤなんだと思います。話が通じないって点では、AIも大企業の窓口担当も同じ感じだしねぇ。子どもがAIに慣れすぎず、「人間的な試行錯誤」を学ぶよう、親が人間相手に人間的な思いのたけをぶつけている(クレーマーとも言う)ところを見せるのは、教育的に良いのかもしれません。大企業様には、ぜひ人間による窓口業務を継続し、AIに任せないでいただいきたい。
