今日のピックアップNYT記事:Why Women Not Having Kids Became a Panic
俺的記事まとめ
現代のアメリカで、「産まない選択」といえば、避妊技術と女性の解放によって可能になった20世紀末の現象として語られることが多い。しかし、母親にならないという選択は、けして現在に限られたものではない。19世紀後半のアメリカに生まれた白人女性の5人に1人、黒人女性の3人に1人は子供を産まない人生を送っている。
実際、避妊技術が発達し中絶の権利を守る法律ができるずっと前から、女性は出産を制限する方法を知っていし、また実践してきた。古代ローマには、蜜蝋やオリーブオイル、レモンを膣に入れる避妊方法があり、中世ヨーロッパから植民地時代のアメリカまで、女性はさまざまなハーブで妊娠中絶を試みてきた。
中絶や避妊を制限する動向は、女性の「産まない自由」へのリアクションと捉えられる。例えば、保守政治連合代表のマット・シュラップ氏は、倫理的な理由だけでなく、アメリカの人口(減少)問題に対する懸念からも中絶に反対しているという。「中絶が合法なせいで、何百万という新しい自国民が殺されているのだとしたら、中絶の禁止はこの問題を解決できることになる」と、同氏は述べている。
しかし、女性が子を産むかどうかの選択を左右するのは、経済や環境、女性が身を置く共同体の状況であって、「セックス=子供」という自然の摂理を女性がコントロールすることをよしとしない男性の意向とはあまり関係がない。現在、子供を産まない理由を女性に尋ねると、回答は一貫している。安心して育児ができるサポートネットワークがない、子供を産み育てるだけのお金・仕事がない、環境破壊が次世代に及ぼす影響が心配、子供よりも自分のしたいことを優先したい、など。
過去において、女性が産まない選択をした理由も同様である。フランス植民地時代のカナダでは、女性が自分の故郷より遠く離れるほど、子供を持たない傾向が強かったことがわかっている。また、中世ヨーロッパには、「子供を産まずにすむよう、尼僧になる」という選択があった。
母親にならない選択をする女性は偏見の対象となってきた。1905年、ルーズベルトは、子供を産まない女性は「非常に不愉快で不健康な存在」であり、「敵前逃亡する兵士と同様の軽蔑に値する」とまで言い放っている。最近では、ローマ教皇が「子供を産まない人間は自分勝手」と述べ、ヴァンス上院議員は、(カマラ・ハリスなど)子供を産まないような人間が政治を先導するのは由々しき事態であると発言している。しかし、社会的なプレッシャーも偏見も、子を産まない選択を揺るがすほどの力があるとは言えない。
出生率の低下に貢献中のミレニアル世代は、「社会的義務を果たさない世代」というレッテルを頂戴しているが、この世代が「選択的子無しが最も多い世代」になるかどうかは不明だ。現在、そのタイトルは大恐慌時代に適齢期だった世代が有している。歴史的に見ても、避妊ピルの発明やロー対ウェイド判決の前から出生率は低下しており、女性は自分を取り巻く環境を吟味した上で、子を持つかどうかを選択をしてきた。これは、避妊や中絶が違法になったからといって変わるものではないだろう。
俺的コメント
つまり、女性が子供を産むかどうかの決断は、子を産みたくなるような環境かどうかにかかっているというわけですね。中絶や避妊を違法にすれば、子供がもっとたくさん生まれるだろうというアメリカ右派の考えは、的外れとしか言いようがないのです。かなり前のことになりますが、日本でも「女性は産む機械発言」というのがありました。オヤジ政治家が考えることは万国共通ってことでしょうか。
世界的に見ても、圧倒的に子育てがしにくい国、日本。産休を取るのは会社にとって迷惑とか、育休を取る男性は出世できないだとか、共働きでも家事育児介護は妻の担当とか、そりゃまあ少子化になって当たり前でしょうってな社会を作っておいて、「若い女がわがままになって子供を産まないから少子化になった」と、女のせいにするオヤジが頓珍漢な少子化対策を練ってるのは日本だけかと思ったら、アメリカのオヤジらも相当だな。
俺んちにも、若い女が二人いるとですが、二人とも環境破壊の進みように絶望して子供を持つ気はないそうです。栄養失調になると生理が止まって子供が生まれなくなりますが、社会が栄養失調だから子供が生まれないんでございますよ。女性の自由を制限する社会が果たして「女が子供が産みたくなるような社会」なのか、おじさんたちは胸に手を当ててよく考えなさい。
