今日のピックアップNYT記事:The Right’s Obsession With Wokeness Is a Sign of Weakness
俺的記事まとめ
レオナルド・レオには新しい野望があるようだ。保守派の法律家団体、フェデラリスト協会(The Federalist Society)を通じてアメリカ法曹界の右傾化を守備よく成し遂げたレオは、同じやり方でウォールストリートやシリコンバレー、マスコミやアカデミアの征服も目指すという。
ドナルド・トランプの司法アドバイザーとして、最高裁判事を保守派で固めることに成功したレオは、妊娠中絶の権利を認める「ロー対ウェイド判決」を覆した影の立役者だ。フェデラリスト協会のネットワークで各界の中枢に働きかけ、最高裁の判事をそっくり入れ替えたように、アメリカ全体の時代精神を右向きに入れ替えることができると思っているらしい。
レオの目論見は、自由主義にとって脅威には違いない。しかし裏を返せば、保守勢力は実存的な危機に直面しているともいえる。邪悪なウォーキズムという、故意に盛った敵の姿を批判することでしか、保守政治の存在意義が見出せなくなっているからだ。
「wokeの毒がアメリカの子供達を腐敗させる」「wokeはどんなパンデミックよりも危険なウィルス」など、大統領候補と目される共和党員たちの発言を見ても、仮想敵を確立しようと必死すぎる姿が窺える。
結局のところ、中絶の自由をひっくり返す50年来のプロジェクトは完了したし、共産主義やイスラム原理主義との戦いも過去の話になった。右派の多くは今でも福祉国家の廃絶を考えているが、こちらは激しく否定しておかないとまずい。そうなると、保守政治がやるべきこととして残されているのは、極左への攻撃くらいしかないのだろう。しかし、「Wokeに対するヘイト」は、保守政治の基盤としては弱すぎるのではないか。
ロナルド・レーガンはかつて、保守政治は3本の足で支えられていると表現した。3つの軸足とは、社会的保守、財政的保守、強硬な防衛政策である。それが現在では、1本の足で危うくバランスを取る「ポゴスティック」の様相を呈している。
俺的コメント
社会的正義に「目覚めている」という意味の「woke」という言葉。日本語の「意識高い系」に近い感じですが、昨今は右派によるネガキャンのおかげか、悪いイメージが割増になってきました。この記事のコメント欄を見ましても、「自分は根っからのリベラルだが、wokeでは絶対にない」という人がいたり、wokeという言葉は「狂信的極左」を指すようになっている印象です。
「wokeはパンデミックよりも危険」的な誇大妄想が流行っているのは、アメリカだけではありません。「ヒトラーの再来にも等しい独裁者が支配する国で、国民はあらゆる自由を奪われ虐げられている」というツイートを見たことがあるのですが、どこの国の話だと思ったら、カナダのことだそうで。住民としてはお茶吹きそうになったがね。このツイートは、カナダに住んでいるカナダ人が、リベラル現政権への批判として書いたものです。確かにパンデミック中は行動制限があったり、みなそれぞれに不自由な思いをしてはおりましたが、独裁者に虐げられてるって!誇大妄想を事実のように語るテクニックは、草の根から大統領候補まで、広く行き渡っているようで実に嘆かわしい。
それにしても、他にやることがないからと、時代に逆行マーチをガンガン進めるのはやめてほしい。爺婆の信仰が廃れて次代の保守人口が減少してく心配はわかります。しかしヒマと資金を持て余しているんだったら、無理やり前世紀の価値観を復活させるよりも、環境系に投資してくれませんかね?うちの90歳のばあさんですら保守党から環境党に鞍替えしたんですよ?狙うならそこでしょう。
