3分で読めるNYタイムズ記事まとめ

俺的アンテナに引っかかったニューヨークタイムズの面白記事を、個人的な感想と共に日本語で紹介しています。記事翻訳ではありません!


考古学とDNA解析:科学が裏付けるスワヒリ社会の起源伝説

今日のピックアップNYT記事:DNA Confirms Oral History of Swahili People

俺的記事まとめ

アフリカ東海岸における交易の長い歴史は、中世スワヒリ人のDNAに刻印を残していたことが、最新のDNA研究から明らかになった。

ケニアとタンザニアの埋葬地から収集された人骨のDNA解析結果によると、およそ1,000年前に、アフリカ人女性とペルシア商人の混血が始まっていたという。

スワヒリ社会では、ペルシア(現在のイラン)の王子がインド洋を越えて到来し、現地の女性と結婚して東アフリカ社会に溶け込んだという伝説が語り継がれている。この口述歴史は今まで疑問視されてきたが、最新のDNA解析は、スワヒリの伝説と時期的にも一致する。

スワヒリコーストと呼ばれる東アフリカの沿岸地帯は、現在のモザンビークからソマリアまで、およそ2000マイルに渡る。中世のスワヒリコーストは、モンスーンにのってインド洋を渡る商人たちとの交易により、数百の港町が栄えていた。外国から持ち込まれた文化とアフリカ現地の習慣が混じり合い、ユニークなコスモポリタン社会が息づいていたという。

16世紀以降、ヨーロッパ人の到来と共に植民地化が進み、スワヒリコーストの様相は一変したが、中世に根付いた伝統は今でも東アフリカに色濃く残っている。スワヒリ文化はどこからきたのか、その起源については議論の的になってきた。

多くの学者は、東アフリカに見られる優美なモスクなどは、現地に駐屯した外国の支配者層によるものと考えていた。その後、スワヒリの文化は主にアフリカ土着のものであり、外界からの影響は少ないという説が有力になった。しかし、この説は、スワヒリの人々にとっては違和感を隠せないものであった。

アメリカ大陸では、ヨーロッパ人による征服、搾取、不平等という歴史があり、アフリカ系アメリカ人とラテン系アメリカ人は、父方のルーツにヨーロッパ人男性のDNAを有している。当初、スワヒリ人のルーツも、アメリカ大陸のそれと同じように、外国勢力による征服の歴史を示していると考えていた研究者は、アフリカ特有の文化的コンテキストを見直すべき、としている。

DNA解析結果では、スワヒリ人の母方の祖先は大部分がアフリカ人の遺伝子であり、父方はアジア人の遺伝子が予想をはるかに越えて強く現れたという。一人のペルシア人が、複数の場所で複数のアフリカ女性と交わった可能性が示唆される。

東アフリカのDNA解析プロジェクトは、発表前に現地の人々に共有された。スワヒリ伝説を裏付ける形となった研究結果は、非常に好意的に受け止められている。

俺的コメント

なんか、マイナーなトピックですみません。NYT記事の元ネタはネイチャー誌ですね。日本語の抄録はこちら

実は俺、大学での専攻が文化人類学だったのです。今でもスワヒリ語のゼミ歌が歌えるんですよ。(上田先生、お元気ですか。)

ただし、あまり真面目な学生ではなかったので、東アフリカ文化についての蘊蓄はご提供できません。(上田先生、ごめんなさい。)

でも、こういう記事を読むと、ちゃんと萌えアンテナが反応します!海を越えてやってきた渚のシンドバッドみたいなペルシャの王子様が、交易のお得意先のお嬢様である黒檀の肌のプリンセスに婿入りして豊かな融合文化社会が生まれたんですよ(一部妄想)。この歴史、スワヒリの人たちには先祖代々伝えられてきたのに、DNAエビデンスが出るまで信じてもらえなかったと。原住民文化と先進国文化が交わるところに、搾取と隷属以外の関係が築かれるなんて、欧米の学者には信じがたかったのであろうよ。

ご先祖を特定するDNA検査、とても興味があります。俺の父親は、南の島に言いようのないノスタルジアを感じるので、自分の先祖はポリネシア人であると言い張っています。確かに、ウィキペディアで「カメハメハ一世」のページをみると、うちのオヤジによく似た王様の画像が載ってるです。俺自身は南洋萌えがなく、寒々とした景色に呼ばれて極寒の地に移住しちゃったくらいなので、母方のルーツは、シベリア経由で新潟に逃げてきたロマノフ朝の生き残りではないかとも思っています(かなり妄想)。ルーツがわかるDNAテスト、いつかやるつもりなので、結果はご報告いたします。



About Me

新潟出身、カナダ在住。英語 -> 日本語 クリエイティブコンテンツ周辺のお仕事を請け負っています。

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