今日のピックアップNYT記事:In Defense of J.K. Rowling
俺的記事まとめ
「ハリー・ポッター」の原作者、J.K.ローリング(以下JKR)は、一般的に「トランス嫌悪者」認定されている。ファンからの批判、書店での著書ボイコット運動にとどまらず、自宅の住所を晒され、暴力的な脅しのターゲットにもなっている。
JKRが叩かれる理由をあげてみよう。DVシェルターや刑務所などで、トランスを含まない女性だけのスペースが権利として守られるべき、という主張。法的な性別を決定する際に、自己申告だけでは不十分、という主張。「女性」という言葉をめぐる過剰な忖度に対する批判。トランス活動家に攻撃されたフェミニストの擁護。
こうしたJKRの言動に、強く反対する読者も多いことだろう。トランスジェンダーは偏見に苦しんでおり、トランス権利保護の活動家と相容れない意見を述べることは、トランスジェンダーという社会的弱者への暴力に加担するものと思われるかもしれない。
しかし、JKRは、実際に「トランス嫌悪」に相当する発言をしたことはないのである。性自認の不一致やその治療を批判したこともなければ、トランスが存在する権利を否定したこともない。また、アメリカのキリスト教原理主義的なコミュニティでは、JKRの著書は何度も禁書扱いされ、「ゲイの権利をサポートするJKRは地獄に落ちる」とまで言われている。
右と左の両極から攻撃されるJKR。膨大な数のファンと富と名声を有し、ぬくぬくと暮らすこともできるのに、なぜ叩かれると容易に予測できることを、わざわざ口にするのか。それは、「弱者が怖くて言いだせないこと」を声に出すことが、影響力を持つ人間の道義的責任であると感じているからだ。トランスフォビアとレッテル貼りされるJKRの発言は、異論を許さないポリコレ軍団に口を塞がれた弱者をサポートするものであり、JKRもトランス活動家も、弱者を守るという行動原理は同じなのである。
ハリー・ポッターを読めばわかるように、JKRが造形するヒーローは、大きな力を持つ敵に勇気を持って立ち向かい、敵を理解しようとする共感力を持ち、強く成長していく。願わくば、ハリー・ポッターの作者はちょっとおかしい、という先入観が子供たちに植え付けられることなく、ハリー・ポッターの精神が読み継がれていってほしい。JKRを擁護することは即ち、あらゆる人間の権利、女性の権利、ゲイの権利、もちろんトランスの権利をも守ることである。
俺的コメント
あっという間にコメントが2000件以上もついた記事。あのNYタイムズがこんな記事を出すなんて信じられない、引っ込めろ!という人もいれば、あのNYタイムズがこんな記事を出すなんて、あっぱれ!という人も。
JKRについて検索すると、「トランス嫌悪発言」というキーワードがくっついた状態で大量にヒットするので、これだけ見ると、ふつーにリベラルな人間であれば、あらやだ、そーゆー人だったのね見損なったわ、となります。俺もそうでした、ごめんなさい。
DV被害者であるJKRは、女性が安心できる場所を守ることを目指しています。「体は男性のトランス女性が、女子トイレに入ってきたら怖い」と思っている人が、その怖さを口にすることが許されない、そんな世の中はイヤだ!!ということやね。
日本では「ゲイが隣に住んでいるとヤダ」とか言ってる爺さんが失職に追い込まれて、リベラルなみなさんは「めでたい」と思いましたよね。だったら「トランスが女子トイレに入ってくるのヤダ」って発言もダメでしょう、と思われるかもしれませんが、頭の中が永久昭和の爺さんが言うのと、リベラルでなければ人間にあらず、みたいな社会でDV被害者が言うのとでは、意味がまったく違うのです。視点によって誰が弱者なのかは変わるわけですから。
すべての人間の声を聞き、すべての人間の権利を守るには、自己矛盾とか傷つき傷つけることを恐れてはならんというお話でした。
